【雑記】大学時代の思い出。
ぼくは都内の某マンモス大学に通っていた。
十数個ある学部のうち、ぼくが所属していたのは、そのなかでも一番ヌルい(単位が取りやすい)と言われる社会科学部、通称社学(シャガク)と呼ばれる場所であった。
たまたま他にも受かっていた偏差値ちょっと高めの学部を蹴り、「バカ社」と呼ばれ、学内ではむしろ滑り止め扱いされている社学を選んだ理由は、まさしく単位の取りやすさゆえであり、あとは校舎が新しくて綺麗だったからである(笑)。
私立文系なんぞ、真面目に授業受けてるヒマがあったら藤子・F・不二雄SF短篇集でも読んでいたほうがなんぼか有用である。勉強は教わるのではなく自分で学ぶものだ、といういっぱしの考えのもと、ぼくは悠々と社学ライフを満喫したのであった。
さて、もともと単位が取りやすい我が社学の中でも、いちばんの楽勝科目とされる人気講義があった。若手のT先生による『政治機構論』という科目である。
なにしろこの授業、いままで落とした者が存在しないとすら言われていたのだ。
出席は取らず、1回ずつある試験とレポートのいずれかに「参加」すれば単位は保証する、と初回の授業でT先生は気だるそうに宣言した。(昔はどちらにも参加せずとも単位が来たらしいが、さすがに事務局に怒られたそうだ)
その瞬間、大教室にいっぱいだった学生のおよそ3分の2が歓喜の声とともに一斉に退出したのは言うまでもない。
ぼくは「このおっさん面白いな」と思いつつ教室に残っていた。
3分の1になった学生たちを前に、あいかわらずT先生はテンション低めで話を続ける。
「あとこの講義では、政治の話はしません。私が話したい話をします」
結果。
初回の講義内容は「宗教を作って金儲けする方法」
第二回目の講義は「海で遭難したときに助かる方法」
果たして政治機構論とは何だったのか。
さて、最初の頃はそれなりに楽しんで講義を聞いていたぼくも、季節の移り変わりとともにダルくなり、いつしか出席せずにサークルの部室でカタンに興じるようになった。
その間も「T先生のすべらない話」は一部に熱狂的なファンを獲得し、出席はとらないにも関わらず最後の講義まで残った学生も少なからずいたそうである。
(ちなみに、レポートは一応適当に書いて出した。心配性なのである)
試験当日。
久しぶりにごった返している教室だが、試験前に勉強している者はほとんどいない。御多分にもれず、ぼくも勉強道具といえばシャーペンと消しゴム以外はCOMIC快楽天くらいしか持参していなかった。
ところで我が大学の慣例として、「単位が取りやすい講義ほど高評価は狙いにくい」というものがある。
成績評価は上からA+、A、B、C(ここまで合格)、F(不合格)の5種類である。「楽勝」と呼ばれる講義、たしかに単位は来るものの、BとかC評価どまりになることが多いのだ。(ゆえに、学内奨学金狙いなどで高成績を取りたい学生には、楽勝講義はむしろ敬遠される)
この講義も、そういう評判であった。
久しぶりに見るT先生が相変わらずダルそうに教壇に立つ。
「答案用紙には問いが書かれてますが、無視して構いません。面白いこと書いた人にはAあげます。つまらない人はCです」
ざわめく教室。
T先生は若者たちに正面からギャグセンスを挑んできたのだ。
これは受けて立たねばなるまい、と気を引き締める学生たち。
答案用紙が配られた。
問.デモクラシーについて論ぜよ。
やる気ねぇ!
今朝急いで考えただろこのお題!
(※デモクラシー=民主制)
そんなこんなで試験開始。
周囲を見渡すと、何やら一生懸命文字を埋めている者、イラストを描いている者、ひたすらシャーペンの芯で遊んでいる者、答案用紙を折りたたんでいる者など様々である。
あれ、これなんの試験だっけ。
答案用紙を前にぼくは考える。
・・・・・
考えた。(思考時間約10秒)
シャーペンを持ち、おもむろに答案用紙に書きつける。
問.デモクラシーについて論ぜよ。
答.ググれ
素晴らしい。
たった三文字で、見事に政治学における情報化によるパラダイムシフトの現状と展望を表している。我ながら完璧な回答である。アルビン・トフラーも諸手を上げて絶賛してくれるだろう。
その後、寝た。
高度な知識を駆使することは体力を大きく消耗するものだ。
最高学府の学生たるもの、睡眠をしっかりとって未来への英気を養わねばなるまい。
さて、成績発表の時期となった。
同じく政治機構論を受けていた同輩や先輩と成績を確認する。
ポエムを書いたM先輩:C
好きな漫画について論評した友人O:B
オレ:A
イヤッホゥゥゥゥ!!!!!!!!!
勝利なり。大勝利なり。
我が大学の歴史古しといえども、三文字でAを勝ち取った学生は我以外にあるまい。
ありがとうT先生。ありがとう政治機構論。
讃えよ。
讃えよ我を。
讃えよ大地を。あぁ。
ところでこの講義、最高評価であるA+を取ったという人は、ついぞぼくの周囲には現れなかった。
というか、そもそもA+をもらった人はいるのだろうか?
いるとしたら、それはどんな答案だったのだろう?
T先生はまだあの校舎で「海で遭難したときに助かる方法」を教えているのだろうか。
もしふたたび会うことがあったら、ぜひ聞いてみたいと思う。
「A+の答案、見せてもらえませんか?」と。