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【書評】「いま」と「永遠」の狭間でー恩田陸『六番目の小夜子』

 

六番目の小夜子 (新潮文庫)

六番目の小夜子 (新潮文庫)

 

 

 舞台仕立ての周到さ、特に「学校」を魅力的に描くということにおいて、現代日本で恩田陸ほどの技量を持つ作家はそうそういないのではないか。


 『ネバーランド』といい本作といい、「学校」という場を外界から隔絶し、それ自体で完結し循環していく箱庭的空間として描く、いわば古典的な学園漫画の構図を小説に持ち込む彼女の手法は、単なる模倣に終わることなく、たまらなく刹那的で愛おしい「青春の群像」をそのまま切り取り、鮮やかに読者の前に示してみせる。


 その一方で、そこかしこに氾濫するお気楽学園コメディのように、完成された空間に登場人物たちを安住させることもしない。常に崩壊の危機と隣合わせで、水面下で蠢く不穏な何ものか―残念ながら、それが結末で明らかにされることは少ないが―の存在を感じさせる恩田の学園世界は、程よい緊張感と未知なる存在の胎動を感じさせ、「絶品」とすらいえる魅力的な小説空間を作り出している。

 


 「サヨコ」という奇妙な言い伝えが残る地方の進学校の数奇な一年を描く本作は、一見、関根秋と津村沙世子という明確な主人公が存在しているように見えて、実際には脇役も含め、「学校」に生きる住人たちすべての姿を描いている。ページを捲る手の震えが止まらない、屈指の名シーンである文化祭の場面に象徴されるように、名もなき人々をも含めたこの学校のすべての人々が主人公なのだ。


 群像劇というわけではない。あえて本作にひとりの主人公を設定するのであれば、それは「学校」である。作中で繰り返される学校という空間―同世代の人間たちがひとつの場に詰め込まれ、それは半永久的に繰り返されていき、そのたびに別の物語が生まれる空間―への問いかけや、端々に配置された物語を彩る象徴的な小道具からも明らかなように、恩田は「学校」を立体的に描こうとしている。


 「友達」というx軸、「先輩・後輩・先生」というy軸、そして「時間」というz軸。必ず終わる「いま」と、永久に続く「場」が同居する空間、永遠と刹那が交わる奇妙な空間、そこで起こる小さな齟齬、登場人物・黒川の 言葉を借りれば、回り続けるコマへ一瞬だけ指を触れてみる他愛もない悪戯。流れ続ける時間の中での、小さな小さな抵抗の物語を、本作は丁寧に追っていく。 その過程は、哀しいほどに美しくて、そして瑞々しい。

 


 本作は恩田陸のデビュー作にして、彼女の資質のすべてが詰まっている。特に、第一章の幕切れ、第三章の文化祭シーンは何度読み返しても素晴らしい。結末を曖昧にする悪癖もすでに出ているが、それが些細な問題と感じられるほどの鮮烈さを持つ不朽の名作である。

 

(mixiレビューより改訂・再録)