ノラブログ。               

 
 
 
 
 

【書評】ダイヤモンドのように光り輝く読書の足跡ー坪内祐三『新書百冊』

 

新書百冊 (新潮新書)

新書百冊 (新潮新書)

 

 

 他人の本棚を覗くのは楽しいものだ。

 自分の好きな本があれば、自分とその人物の琴線の共鳴に気付いて「おっ」と思うし、知らない本ばかりであればそれはそれで新たな分野の開拓に繋がる。立派な本ばかりが並んでいたら「こいつ見栄っ張りだな」と思うし、大企業の社長の本棚に聖書だけがぽつんと置いてあれば、なんだか凄みを感じさせる。

 世の「読書家」と呼ばれる人々が、誰に見せるわけでもないのにやたらと自宅の本棚のレイアウトに凝ったりするのは、他人に覗かれることを無意識に想定しているからではないか。

 

 さて、この本で紹介されている新書のほとんどを、僕は読んだことがない(読んだのはせいぜい『知的生活の方法』『術語集』くらいか)。つまり未知の読書体験が、この本の中には開かれているわけだ。

 それなりの知的好奇心は持っているつもりだが、さすがにまったく知らない本ばかりとなると身構えてしまう。例えばいきなり名も知らぬ小国のマニアックな作家の作品について熱弁されたところで興味は持てない。むしろうんざりしてジャンル自体に嫌悪感を抱く可能性すらある。語り口が重要なのだ。

 

 そこへいくと坪内の文章は安心だ。「本」に対する並々ならぬ情熱と信愛が伝わる筆致は、読む者の心を踊らせる。自分の人生と決して交わることのなかったはずの本たちが、この『新書百冊』を通して、突如眼前に躍り出る。それらの本たちは、まるでダイヤモンドのように光り輝き、魅力的に見える。

 

 読書は歩くという行為に似ている。人生のある地点で後ろを振り返ったとき、これまで読んできた本たちは足跡となって確かに自己の軌跡を記している。いつか、自分も自分だけの『新書百冊』を書いてみたい。そう思わせるには充分な読書体験であった。