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ノラブログ。               

 
 
 
 
 

『進撃の巨人 ATTACK ON TITAN』―原作通りにしなくて、本当に良かった。

映画

 

進撃の巨人 ATTACK ON TITAN』(2015・日)

 

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80点

 

 

ひとこと:悪くねェ。

 

 

 


 各所での評判を聞いて、なかば人柱になるようなつもりで観に行ったんですが…
 結論、すげー面白かったです。
 

 

 いやー世評なんてアテにならないっすね!
 もうね、語りたいことはいっぱいあるんですよ。キャストの演技(石原さとみは本当に素晴らしかった!)、巨人の描写、設定変更の是非、ワイヤーアクション、CG、音楽、エンドロールに至るまで。でもそれらの感想全部語るとやたらめったら長くなるし、そんな冗長な文を読みたくないだろうし、というかそもそも俺が大変だしってことで、詳細な批評は「カゲヒナタのレビュー」さんや「YU@Kの不定期村」さんが僕なんかより遥かに微に入り細に入り語っておられるので、興味ある方はこちらを参照してください。


 というわけで、このブログでは「長編マンガ原作を実写映画化するってどうよ?」という一点に絞ってレビューしてみたいと思います。すなわち、

 「原作をどう改変したの?」

 「それは上手くいったの?」

 ってお話です。

 

 

  ※原作ファンなら承知している程度のネタバレ有

  

 

 

◆長編漫画を実写化することの難しさ

 実写版については、実は去年このエントリ↓で言及したことがあるのです。

 この中でぼくは「『進撃』原作をそのまま映画化するのは不可能、むしろ設定だけ借りた別物にするなどのアプローチがとられる可能性が高いのではないか」と結論づけました。
 実際、当初監督を務めるはずだった中島哲也版は「現代の東京に巨人が現れる」というプロットだったそうですし、共同脚本を担当した町山智浩さんのラジオでの発言によれば、キャラクター名をすべて変えてしまう案も真剣に検討されていたようです。


 なぜ、長編漫画原作をそのまま実写化することが不可能なのか。
 それは、長編漫画の「面白さ」と映画の「面白さ」は、実はまったく別物といえるからです。


 長編連載漫画は、「続ける」ことを前提としています。読者を飽きさせず、興味を持続させるために新しい敵、新しい展開、新しい謎を次々と提示し、その軌跡として壮大な大河ストーリーが形成される、これが長編漫画の醍醐味です。話数を費やすなかで魅力的なキャラクターが次々と登場し、新展開に継ぐ新展開、時たま物語は本流から逸れ、枝葉のエピソードをじっくりと描き込むこともあります。そうしてキャラやストーリーを深め、読者をその世界にどっぷりと浸からせ虜にしていく作品こそが名作と呼ばれます。アニメ化した場合でも1~2クールを費やし、次回への期待を膨らませながら視聴者を惹きつけていく手法がとられます。

 

 一方、映画は基本的には一本2時間、どんなに長くても3時間で終わらせなければなりません。「次回につづく」は基本的に認められず、それ単体で作品として完結させることが求められます。ゆえに映画は、その限られた時間内でどれだけ濃密な物語を構築できるかが腕の見せどころとなります。長編漫画では「ちょっと小休止」する瞬間があっても読者はついてきてくれますが、2時間の映画では「蛇足」や「退屈」になってしまいかねません。ストーリーの始点と終点を明確に定め、登場人物やエピソードを精緻に取捨選択し、研ぎ澄まされた「完成品」を観客の前にドンと提示するのが映画という媒体です。


 すなわち、長編漫画の面白さと映画の面白さは、ベクトルがまったく逆なのです。
 長編漫画は「積み重ねられた」面白さ、映画は「削ぎ落とされた」面白さといえば分かりやすいでしょう。長編漫画の映画化というのがいかに無理難題なミッションであるか、お分かりいただけたでしょうか(ちなみに、この違いを見誤った典型的な失敗例が20世紀少年の映画版です)。
 

 


◆原作と映画版の違い

 で、今回の『進撃の巨人』です。
 結果からいえばこの映画版は、大まかなストーリー自体は比較的原作を忠実になぞり、世界観および各キャラクターの設定について大胆に改変するという戦法をとりました。


 ここで原作と今回の映画版の改変ポイントについて簡単にまとめます。
 改変ポイントは大きく分けて6つ。

 

① 原作では中世ドイツを思わせる舞台だったが、映画版は文明が退化した未来を舞台とした架空の国。役者は全員日本人で日本語を喋る。ヘリや不発弾の残骸、トラックで移動するシーンなどが登場する。

原作以上に人類が追い込まれており、兵団も資源・人員不足に悩まされている。エレンたちの仕事は「巨人の駆逐」ではなく「爆薬の輸送」であり、原作の調査兵団のような精鋭集団ではない。

③ エレンの両親は幼いころに死んでおり、巨人に殺されたわけではない

最初に巨人に襲撃された時点でミカサは行方不明となり、エレンとアルミンは2年後、巨人との戦いの最中に「班長」として活躍するミカサと再会する。ミカサはシキシマと恋仲?であり、表面上はエレンに冷たく当たる。エレンは、ミカサを守りきれず深い傷を負わせたことに苦悩する。

「本当の敵は外ではなく内側にいる」という伏線が、早い段階から提示される。

⑥ 原作からそのまま登場するキャラクターはエレン、ミカサ、アルミン、サシャ、ジャン、ハンジ。リヴァイ役は「シキシマ」に、その他104期のメンツもオリジナルキャラクターに置き換えられている。

 

 結論からいえば、これらの改変は概ねプラスに作用したと感じました。
 すなわち、漫画『進撃の巨人』を「映画」として再構築するにあたって、これらは非常に理にかなった改変だったと言って良いのではないでしょうか。

 

 


◆世界観の再構築

 ① ②は、ともに原作の「世界観」に関する改変です。
 まず日本で映画化し役者が日本人であると決まった以上、原作のようにドイツを舞台にするのは困難です。そこで軍艦島でロケをするなどスチームパンク感を全面に出し、ディストピアSFっぽく世界観を再設定したのはなかなか上手いなと思いました(というか、他にどんな方法があったんだ?とも言えるけど)。

 あと人類が原作以上に追い込まれている描写も良かったです。巨人に支配されて死を待つ他ないという絶望感はこの映画のすごく重要な魅力の部分で、調査兵団大活躍で巨人がバッタバッタと倒されてしまっては「これ人類わりと勝てんじゃね?」って希望が生まれちゃうんですよ。そこで、食料や物資がぜんぜん足りていない描写とか、殉職者だらけでもはや戦いに不慣れな若い奴らしか残っていない兵団の描写でSEKAI NO OWARIを強調し、宣伝でも使われている「この世界は残酷」という言葉により説得力を持たせる、これは全然アリな改変だと思いました。

 

 

◆エレンはなぜ巨人に立ち向かうのか?

 ③ ④は、主人公であるエレンの行動原理に関する改変です。
 原作ではエレンは序盤で母親を巨人に食われてしまい、それが彼が巨人を殺す動機になるんですが、1時間40分の映画のなかの冒頭10分でカーチャン食われたとしても、どう考えても描写不足になってしまうと思うんですよね(原作では巨人襲撃前の平和な日常を描く時間があったし、エレンの父親と「鍵」にまつわる伏線も継続されるので、エレンの家族にキャラクターとしてコクを出すことができていた)。
 すなわち、ここを原作通りにしても、彼が巨人を駆逐する動機としては明らかに説得力を欠いてしまう。まぁ気持ちは理解できるんだけど、そこまで彼が巨人にこだわる理由としてお話の原動力にはなり得ない。少なくとも、これで映画前後編を持たせることはできない。

 

 で、どうしたかというと、エレンは母親を殺されるのではなく、「ミカサを救えなかった」ってことにしました、というとんでもない改変が行われました。もちろんミカサは実は生きていてのちのち再会するんだけど、身体には大きな傷が残ったし、明らかに心を閉ざしてしまった様子だし、そもそもエレンが彼女を助け出すことができなかったという事実は変わらないし、なんかミカサさんシキシマのおっさんに寝取られてるぽいし(!)、そうした身も蓋もない状況を突きつけられて取り乱した童貞エレンは「うわぁぁぁぁぁ!!!」と藤原竜也ばりに絶叫するんですね。

 ところで巷では「エレンがミカサを守る話になっている」と噂されていますが、違います。より原作よりヘタレ化した実写エレンは今も昔もミカサを守ることなど到底できていません。そもそもこいつ、ミカサよりはるかに弱いし。


 ではこの映画版エレンは、なぜ巨人に立ち向かうのか?
 実はその理由は、明確には明かされません。そしてここが重要なのですが、エレンが巨人に立ち向かう動機が最初から最後まで明確に説明されないという改変、これこそが僕がこの映画に高評価を与えた最大の理由なのです。

 

 作中、シキシマがエレンに「なぜお前は巨人を倒したいんだ?」と聞く、思わせぶりなシーンがあります。エレンは「巨人が憎いからです」とか月並みな答えを言って、シキシマに鼻で笑われます。ここでもエレンの動機はぼかされたままです。

 さて、原作を読んでいる人ならご存知と思いますが、実はこの世界、単純な「人類VS巨人」という構図ではないことがしだいに明らかになっていきます。すなわち「敵である巨人を倒す」という大義名分、ほとんどの登場人物が当初持っていたはずの動機が、途中からグラグラと揺らぎ、物語、そして世界を根底から問い直しはじめるのです。

 

「俺たちは、なぜ戦っているんだ?」
「俺たちは、何と戦っているんだ?」

 原作で物語の途中から提示され、読者を戸惑わせるこのテーゼを、この映画は序盤から周到に観客にチラつかせながら話を運んでいきます。エレンに明確な動機がないこと、彼自身もなぜ巨人と戦うのか分からないまま戦っていること。何のために戦うのか分からない、何と戦っているのかも実は分からない、戦いのための戦い。意味を求め続ける、いつ終わるとも知れぬ果てしない戦い。これこそが、この世界の救いようのなさ、絶望ではありませんか?そしてこれは、まぎれも無く原作が伝えようとしているメッセージに肉薄していると言えませんか?

 
 そう、本作は、『進撃の巨人』という壮大な物語を、原作とは別のアプローチで解き明かそうとする試みなのです。そしてそれこそが、僕が実写映画版に望んでいたことなのです。

 

 鑑賞後に原作を紐解いたときに、これまでとは別の視点が加わっている作品、これまでとは別の楽しみ方を再発見させてくれるような作品。それこそが実写化として誠実な、面白い作品だと僕は思います。 

 そして本作は、間違いなくそれに当たる作品です。

 


◆「世界の謎」を解き明かせ

 さて、最後に⑤⑥。
 これらは先ほど説明した「原作を解き明かす」というこの映画の目的を強化するために行われた改変です。乱暴にまとめると、この映画版、原作から「キャラ萌え」要素を除外し、ストーリー部分、すなわち「この世界を取り巻く謎」を全面に押し出しました。

 

 「本当の敵は、実は内側にいる」というのは、あらゆる読者の度肝を抜いた、この原作の最高に魅力的な伏線のひとつです。原作では途中からじわじわと明らかになりますが、この映画版では比較的早い段階から「巨人の利益のために動く人間」の存在が示唆されます。「この世界はいったいどうなっているんだ?」と観客の興味を最高潮まで引き上げたところで『前編』はバサッと幕を下ろします。この「引き」は見事なものです。 
 そしてそう考えれば、キャラクターの改変も納得がいきます。原作からは主要キャラクターのみを抽出し、各キャラごとに原作ファンの思い入れが強そうな濃い脇役たちはばっさりとカット。キャラ同士の絡みなどの「萌え」要素は除外。これらも、この映画がキャラクターの魅力ではなく「この世界の謎を解き明かすこと」を話の推進力に据えた結果に他なりません。

 それゆえ、アクション以外のキャラ同士の会話パートになると一気に退屈になってしまう感は否めませんし、そこはこの映画の最大の弱点だと思います。また、町山さんが指摘する通り、このキャラ萌え要素の排除は、とりわけ原作のコアなファンには到底受け入れがたいものでしょう。なので、限りなくライトなファン向けに作られた映画であるとも言えます。原作をまったく知らない一見さんにも優しい作りになっていることですし。

 


 でもね、何回も言うけど面白かったですよ。興奮しましたよ。
 後編も絶対に観るし。
 そこはもう、そう思わせた映画の勝利だと思います。

 

 

 

 というわけで、感想としてはこんな感じなのですが、他、どうしても言い足りない点が2、3あるのでつぶやいておきます。

 


◆補足1:キャストについて
 冒頭にも書いたけど、石原さとみ演じるハンジはこれ以上ないくらい完璧にハンジさんでした。
 頭のネジが数本抜けてる感じ、甲高い叫び声、巨人に遭遇したときのリアクション、すべてがハンジ、ハンジ、ハンジ、ハンジ、ハンジ!もう100点満点で500点ですよ!将来ハリウッドとかでリメイクの話が来たときも、ハンジ役は彼女のままでいいんじゃないですか?
 他のキャストも総じてイメージに合っていて、ミスキャストと感じる人はいなかったなぁ。特に本郷奏多さんのアルミンは髪の色は違っても完全にアルミンで、ものすごくマッチしていると思いました。原作のリヴァイにあたるシキシマ(演:長谷川博己)も「ニヒルでウザくてプレイボーイなリヴァイ」って感じで(なんじゃそりゃ)全然悪くなかったです。

 


◆補足2:「エレンがおっぱいを揉む」問題について
 「エレンが人妻のおっぱいを揉むシーンがあるらしいぞ!」って面白おかしく囁かれてるみたいですが、実際映画を観た人(その後の展開を知る人)だったら分かる通り、これ実はお色気シーンでもなんでもなく、むしろこの世界の救いようのなさを体現したシーンといえるんですよね(ネタバレ控える)。ってか、おっぱいちゃんと見せてくれないしぃ~( ´_ゝ`)ここでエレンが逆レイプされるところまでいっていたら彼のヘタレっぷりが上乗せされて、余裕でもう10点加算されていたんですがね(嘘)。

 


◆補足3:この映画への反応について
 映画そのものの出来とは別に、これは言っとかないといけないと思う。

 

 まず、ツイッターで関係者の発言が炎上している件について。
 映画そのものは充分楽しんだだけに、一部スタッフの、原作ファンを煽るような一連のツイートは本当にガッカリしました。持ちは分かるけど制作側がそれ言っちゃいけないだろうと。それは原作ファンにも、この映画を楽しんだ人にも、そして真面目に自分の仕事を成し遂げた他のスタッフ・キャストの方々にも失礼な態度だと思います。

 

 そしてもうひとつ。「この映画を褒めるやつを叩く」みたいな風潮が蔓延しているのは、心底クソだなと思います。
 実際に観て「つまんねー」「金返せ」「監督Fuck」剛力彩芽イラネ」とか憤るのは別に良いですよ。でもさ、面白かったねーって喜んでる人を「映画会社の回し者」とかレッテル貼って叩いて回る輩、言っちゃ悪いけどヒマなの?烏滸なの?なんで俺が君の評価に追従しないといけないわけ?俺がこの映画を面白いと思うことが何かあなたの生活に損害でも与えるの?てか映画会社の回し者のはずなのに俺一銭も貰ってないぞちくしょー!おれはつまらんと思った!やつは面白いと思った!それでこの一件はおしまい!(byエスパー魔美)じゃ我慢ならんわけ?

 炎上してる関係者は確かにみっともないけど、この手の人たちも負けず劣らずみっともないですよ。もちろん、ちゃんと観たうえでここがダメ、ここはこうしたほうがいいのにみたいな批判はどんどんしていいと思いますよ。そういう批判は、擁護派から見ても面白いですし。

 
 とりあえず俺から言えることは、間違いなく劇場で観る価値のある映画だし、むしろ劇場で観ないと面白くない映画ってことだ!以上!


 だから、まだ観てないって方はホント早く劇場に行ってほしいです。褒めるにしろ貶すにしろ、これだけ観た者同士が侃侃諤諤と議論を交わせられる映画ってなかなかないですよ。それだけで充分、1800円の元はとれるって。

 

 だから言わせてくれ。
 チケット代を捧げよ!