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『ソロモンの偽証』-誠実で重厚な映像化、だが…

 

 

『ソロモンの偽証 前篇・事件』
『ソロモンの偽証 後・裁判』(2015・日)

 


1990年のクリスマス、都内の公立中学校で2年生の男子生徒が墜落死体で発見される。状況から自殺と断定されるが、程なくしてこれは他殺だとする告発状が届けられる。警察やマスコミを巻き込んで騒動が拡大する中、今度は死んだ生徒のクラスメイトの女子が車に轢かれて死亡、さらに告発状で犯人だと名指しされた男子生徒の家が全焼する。すべてが曖昧なまま事件が風化していく中、主人公・藤野涼子は真相を暴くため同級生を集め、大人たちの介入しない「校内裁判」を提案する。 

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前篇・事件:70点

後篇・裁判:63点

 

 


ひとこと:

たしかに見応えのある4時間半。

 

 

 


 えーと、つまりこれって学級裁判の話であって、要はダンガンロンパ映画版ですね(←適当)。

 

 


宮部みゆき作品を映画化するということ
 

 宮部みゆきの長編作品の実写映像化といえば模倣犯(02年/森田芳光監督)、『理由』(04年/大林宣彦監督)が思い浮かびますが、アクの強い監督が奇策を用いて勝負に出た、それぞれ非常にユニークな作品です。

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 模倣犯はクライマックスの中居くんの首ボーン!のおかげで世間的には酷評一辺倒でしたが、ぼく自身は森田監督のひとつの到達点であり、後年、日本映画史を振り返ったときに間違いなく重要な一作になるものと非常に高く評価しています。

 当時はまだ世間に認知されて間もないネット掲示板やケータイでの動画配信、扇動者に踊らされる大衆などの描写は明らかに時代を先取りしているし、映像に意図的にノイズを混ぜたり矢継ぎ早に画面をザッピングさせる森田演出もノリノリで、一種のドラッグムービーの趣すらあります。ラストもあのドリフ大爆笑みたいな画はどうかと思いましたが(笑)、原作からいちばん大切なテーマをきちんと持ち帰って最後の最後に還元させている点などは、さすが凡百の映像作家とは違うなぁと貫禄すら感じたものです。

 

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 そういえば、大林宣彦監督が手がけた『理由』も、なかなかに興味深い映画でした。
 この原作小説の面白さは、ある事件の発生から解決までをあたかもノンフィクションのような文体で、限りなくリアルに作りこんだ点にあります。いわば小説におけるファウンドフッテージ(手持ちカメラ)方式。
 それを映像化するにあたり、大林監督は安易なモキュメンタリーにするのではなく、メタ構造にメタ構造を重ねあわせ、映画を観ている観客自身すら相対化させてしまう手法で挑んできました。抽象的な説明しても分かんないと思うので実際に観てもらうのが一番なんですが、ホント、すげぇ変な映画ですよコレ(褒めてます)。ラストの謎のCGと変な歌は無かったことにしてください。

 

 

◆「ミステリ」は装置にすぎない

 

 で、今回の『ソロモンの偽証』です。
 監督は成島出、『八日目の蝉』などで有名な方ですな。この人の映画はそんなに観てるわけじゃありませんが、森田芳光大林宣彦のような強烈な個性を持った映像作家というよりは、依頼された題材をきっちりと料理として仕上げてくる職業監督というイメージです。そして実際、本作は良くも悪くも安心して鑑賞できる、正統派の映像化になっています。

 

ソロモンの偽証: 第I部 事件 上巻 (新潮文庫)

ソロモンの偽証: 第I部 事件 上巻 (新潮文庫)

 

  原作はハードカバーで3冊、文庫版で6冊という大長編です。これをどう映像に起こすのかという問いに、制作サイドは前後編に分け、4時間半をかけてじっくりと描き込むという答えを出しました。

 この是非は人によって分かれるところでしょうが、僕は本作に限っては「是」です。というのも、宮部みゆき作品の面白さは、その「長さ」に依る部分が非常に大きいと思うからです。

 

模倣犯1 (新潮文庫)

模倣犯1 (新潮文庫)

 

  たとえば『模倣犯』は、快楽殺人者による連続殺人という題材を扱います。枝葉を取り除いた本筋自体はそこまで込み入っているわけではないので、単に事件の発生から終結までを描くだけであれば、宮部みゆきほどの技量ある作家であれば文庫一冊にまとめることなど容易いでしょう。

 しかしこの作品の、さらに言えば宮部作品全体に共通する「魅力」は、登場する人間たちのドラマです。この作品には犯人(首謀者)、共犯者、共犯者に疑いを持つ親友、被害者家族、被害者家族に寄り添う者、加害者家族、冤罪を着せられた者、マスコミ、警察、目撃者、野次馬など、幾多の視点が登場します。彼らが織りなす人間模様、泥臭いも哀しいドラマこそがこの作品の肝であって、連続殺人というシノプシス、ミステリという体裁はあくまで話を進める装置に過ぎない。終盤で「模倣犯」というタイトルの意味についてすげーどうでもいいオチが用意されているあたり、確信犯だと僕は思っています。

 

 僕は基本、映画の尺を引き伸ばすことには反対なのですが、本作を一概に「長いからダメ」「前後編だからダメ」と言い切れないのは、こうした原作が持つ魅力の部分にあります。すなわち、宮部作品の核である「長さ」「重厚さ」を重視した映像化という方向性はきわめて正しい、といえるのです。

 

 

 

◆誠実で重厚な映像化

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  実際、本作は製作にじっくり時間をかけただけあり、見るからに予算が少なそうな「学園ミステリ」というジャンルらしからぬ、気合の入ったリッチな作りとなっています。そこには、「気の抜けたモンを作るわけにはいかない」という、監督はじめスタッフたちの気合いが仄見えるような気がします。

 往年の日本映画を思わせる重厚な画作り、そして邦画史上最大規模で行われたというオーディションで選抜され、じっくりトレーニングを重ねた中学生たちの演技。ただの日常だったはずの風景をズシンと重々しく捉える画面と、なまじ「プロ」に染まっていないがゆえの危うさを抱えた素人俳優たちの体当たり芝居は、ともすれば平板になりがちな物語にただならぬ迫力を与えることに成功しています。

 

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 とりわけ素晴らしいのは、やはり主演を務めた藤野涼子さんでしょう。とても演技経験無しとは思えない強い「目」を持った、まさしく完璧な「女優」さんでした(役名がそのまま芸名になったというのも面白いですな)。この映画、不思議と全体に安心感というか安定感が漂うんですが、それはやはりカメラと俳優がしっかりしているからなんでしょうね。脇を固める大人たちも実力派揃いで素晴らしかったです。

 

 お話としては、『前編』で事件の発生を、『後編』で校内裁判の開廷から閉廷までを描くという流れです。次々と「謎」が提示される『前編』のつかみは上々。反面、後半は早い段階でネタが割られてしまう感じ(後述)はあるのですが、キーパーソンである「弁護士」神原くんを軸にどんどん謎が深まっていくなど、退屈せずにクライマックスまで観客を牽引していく構成になっています。

 

 さて、かように原作へのリスペクトあふれる本作。ここまで述べてきたように、作り手たちの誠実な姿勢は疑い得ませんし、その情熱は間違いなく一定の成果を挙げ、この映画を見応えのあるものにしています。
 しかし同時に、この映画には弱点もあります。それは原作を尊重したがゆえに、原作から地続きで映画の足を引っ張ることになってしまった、お話としての「弱さ」の部分です。

 


◆映画としての物足りなさ、弱さ

 

 最初に言っておくと、さんざん引っ張ったわりにオチは弱いです。
 すごく弱いです。

 

 ていうか、あの真相で「なるほど~」って満足した人、いるの?いないよね?結局あいつのくだらん思いつきがすべての元凶であったわけで、あんなクソガキに塵ほども同情なんかしたくないんですが。(あとお前は知ってたんなら早く話せ!)先ほども述べましたが、わりと早い段階でネタを割られてしまうというか可能性がかなり限定されてしまうんで、そんなにミステリに明るくない観客でも、大まかな「真相」の輪郭はなんとなく予想できてしまうんですよね。

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 もっとも、これに関しては原作の責任が大きいんじゃないかな。一応原作パパっと読んだんですが、クライマックスの展開は大きく変わってないんですよね。そういえば宮部みゆき、オチに関しては微妙な作品多いよね(恩田陸ほどじゃないにしろ)。むしろ、うかつに撮ったらシラける場面にもなりかねない、あの「閉廷」シーンを感動的に演じきった役者陣に拍手ですね。これははっきり、「映画」の功績だと言っておきます。

 あと、何度も繰り返してますが、宮部作品において「真相」はどうでも良いっちゃあどうでも良いんですよ。変に改変されてびっくりオチとか用意されても、それはそれで居心地が悪いというか。だからこれはこれでアリ。物足りないけど正しい映像化。ベストではないにしろ、ベターではある。そんな、もやもやした感じで観てました。このへんは好みが分かれるところでしょうね。

 


 あと、これとは別に、この映画の「ダメな点」をもうひとつ挙げときましょう。
 それは、日本映画特有の「行儀の良さ」が鼻につくってことです。

 

 一例を挙げると、この物語は大人になった藤野涼子の回想という形式をとっているんですが、ラストで余貴美子演じる現在の校長先生が「あの裁判以来、この学校ではいじめも自殺も起きていないんですよ」とか言い出すわけです。

 

 いや、そういうことじゃねーから!
 あの裁判って「悪」を糾弾したり排除するためのものじゃねーから!


 なんでそういう「道徳」的な単純化をもってして、彼女らの行為を貶めようとするんでしょうか。そういえばマスコミの描写とかも妙にステレオタイプだったなぁ。思い出して腹が立ってきたぞ。

 

 こういう一方的な「めでたしめでたし」な結末とか頭でっかちな善悪二元論って、宮部みゆきが一番忌み嫌うものだと思うんですよ。たとえばこの映画で言えば、結果的に事態を悪化させた校長先生や担任の森内先生が「悪」なのか?って問いかけをしてみれば、そんなことを言いたいんじゃないって観た人なら誰でも分かるじゃないですか。安易な「腑に落ちる」結末にしないから宮部作品は面白いんです。『魔術はささやく』の、少年の屈折した心理を見よ。『火車』の、関根彰子と名乗る女の複雑な生き様を見よ。念のため原作で確認したらやっぱりこんな台詞はなくてほっとしましたよ。

 このシーンに関しては本当に噴飯もので、映画の印象が一気に下がりました。せっかくここまで原作に敬意を払った映画作りをしておきながら、最後の最後に何をやってるんでしょうか。脚本家マジで何も分かってねーんじゃねーかとすら思いましたよ。

 

 逆に、同じくラスト近くのシーンですが、「あの裁判のあと、私たちは友達になりました」ってナレーションで、みんなで校門をくぐって歩いていく場面はとても良かったですね。「友達」という単純な言葉に込められた意味、彼女らのその後、そしてこの裁判を通して登場人物たちが何を得たのか、それらすべてを観客に想起させる、ここは本当に素晴らしいカットだと思いました。真相自体がぜんぜんすっきりしないだけに、ホントさっきの校長のパートさえなければ清々しい気持ちで観終えることができたのですけれどね…

 

 

 そんなわけで、評価としては前編70点、後編63点。
 後編のほうが点数低いのはオチの弱さと校長のコメントと、あと前編と比較して脚本が明らかに荒れていたからですね。やっぱ風呂敷は畳むより広げている時の方が楽しいよね。


 いろいろ文句はつけましたが、少なくとも役者陣の演技だけでご飯3杯、もとい4時間半かける価値はある映画だと思いますよ。先日レンタルも始まったようなので、興味ある方はぜひどうぞ。