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ノラブログ。               

 
 
 
 
 

「書評家」エル氏の肖像

書評 雑記

 

 mixiがまだ元気であったころ、僕は毎日せっせと本や映画のレビューを書いていた(一部はこのブログにも転載している)。レビューからうちのページへと辿って来る人もいて、日記へのコメントやメッセージなどを貰うこともしばしばあった。

 

 そんなある日、「書評家」を名乗るユーザーからマイミク申請が来た。
 彼を仮にエル(L)氏としておこう。彼もまたレビュアーであり、ビジネス書を中心に書評を書いているほか、日記では活発に自己研鑚の記録をつけているようだった。

 


 エル氏の書評スタイルは、内容をひたすら箇条書きにしてまとめていくというものだった。それを「書評」と呼ぶのはどうかと思ったが、それについては今回触れないでおく。
 エル氏は30代男性で、諸事情(持病を匂わせていたがはっきりしない)で普通の仕事ができず、なんとかネットビジネスで生活できないかと目論んでいるようだった。ビジネス書を中心に読んでいるのも、そのヒントを掴むためだという。

 事実であれば境遇には同情するが、それにしても率直に言って、彼の計画は甘すぎるような気がした。読んでいたビジネス本や自己啓発書に影響されたのか、彼はどういうわけか、自分に絶対的な自信を持っていた。自分の本当の実力はこんなもんじゃない。俺は何だってできるんだ。漫画のタイトルじゃないが、「俺はまだ本気出してないだけ」を地で行くような威勢の良さだった。

 


 ある日、彼は「翻訳で食っていくことに決めた」と宣言した。このご時世、翻訳業で食っていくのもなかなか大変そうだと思うが、そのこと自体は別にいい。
 が、「英語の勉強はこれからする」という文字を見て目を疑った。しかも、そのためにと言って彼がリストアップしたのは中高生用の単語集やTOEICの参考書である。TOEICで満点を取れたところで翻訳で食っていくレベルには程遠いはずである。青臭く無知で無学であった当時の僕でも、その程度の違和感は覚えたのだ。そんな心配をよそに、エル氏は翻訳でいくら稼げるかと皮算用に思いを馳せていた。まずは個人で始め、ゆくゆくは出版社から依頼が来て…と語る彼は、とても嬉しそうだった。

 それから幾ばくも経たないうちに、「翻訳業から撤退。ドロップシッピングで稼ぐ」と方向転換を打ち出した。参入すらしていないものから「撤退」できるのかという疑問はともかく、よりによってそこでドロップシッピングである。たぶん怪しい本でも読んだんだろう。
 「ドロップシッピングは違法性が疑われていますよ」と日記にコメントした。ドロップシッピングに関して完璧に知識をつけ、明日からでも事業を始められると豪語していた彼は、そんなことすら知らないようだった。数日後、「ドロップシッピングからは撤退」の文字が日記に並んだ。

 


 こんな調子で、彼の夢の展望は数週間、数ヶ月おきにコロコロと入れ替わった。
 そのうち、書評のブログとメルマガで食っていくみたいなことも言い出した。「毎回、俺の考えた経営や社会改革のアイディアをメルマガに載せる。画期的で有用な内容だから商品価値はある」―実際に開設されたブログを見た僕の感想はご想像にお任せする。

 彼は高卒であり、そのことに強いコンプレックスを抱いている様子が見てとれた。「東洋大学は受かったが行かなかった」と繰り返し強弁していた。あそこまで声高に叫んでいたのだから、おそらく事実なのだろう―東洋大学合格という事実が、どれほど彼の中でステータスと化していたのかはともかくとして。「今の自分なら慶應くらいは軽い」「東大も狙える」とも言っていた。その自信がどこから来るのかは―いや、何も言うまい。

 


 ある日エル氏は「東大を狙うための厳選参考書リスト」と称して、科目別に書名をリストアップした。一科目あたり2~30、計100冊以上はあるかという書名が、誇らしげにずらりと並んでいた。「現代文」のリストには「漢字書き取りドリル」が入っていた。数学は、チャート系の参考書が数種類も入っていた。これを全部こなせということらしい。「東大狙える」の根拠は、このAmazonや参考書レビューサイトを一所懸命漁って作ったらしい参考書リストであったようだ。さすがにモニターの前で頭を抱えた。

 「アホですか」(意訳)みたいなことをやんわりとコメントした気がする。
 他のマイミクからも批判的なコメントが相次いだ。エル氏は相変わらず「俺、炎上中www」と強がった。僕が「だめだこりゃ」と一言書き込んだ数分後、マイミクを切られた。以来、僕はエル氏と関わりと持ったことはない。

 


 一年ほど前、久しぶりにmixiにログインし、エル氏のページを覗いてみたことがある。

 最終ログイン時間は数時間以内。オレンジ色の巨大SNSは今やすっかり廃墟と化したが、彼はまだあの場に留まっているらしい。僕と同じように批判的なコメントを載せたマイミクはほとんどリストから削除され、身内と思われる数名だけが残されていた。
書評ブログへのリンクも貼り付けてあった。

 あの後、彼はブログを三回ほど移転していた。いずれも記事は数回書いたきり途絶えていた。メールマガジンも出したらしいが読者は一人(知人)に留まったそうだ。「俺のアイディアが世間に漏れている」「俺の思考が盗聴されている」みたいな文字が並んでいた。いたたまれなくなってページを閉じた。

 


 エル氏はまだ「書評」を続けているのだろうか。いつかやってくると信じている逆転の日のために。「画期的なアイディア」が世間に褒め称えられる日のために。

 書店のビジネス書や自己啓発書の棚を眺めていると、時おり彼のことを思い出す。ああ、この手の本ってのはつくづく罪深い。読者に夢を見させるくせに、夢の畳み方は教えてくれないのだから。