「わたし本音しか言いません」ってスタンスはまったくオススメできないという話
「わたし口悪いです」「本音しか言いません」と謳うアカウントほど、ちょっと攻撃されると顔真っ赤にして感情的に反撃してくるのはどういうことなのかね。
「本音しか言いません」そういうスタンス貫くこと自体は別にいい。ご自由に。
でも、そういう態度をとることによって生じる弊害は甘んじて受け入れるべきだろうよ。
ただでさえアグレッシブな態度とってんだから軋轢生むのは当たり前のはずなのだが、この手の人たちは反撃において、どういうわけか「正しさ」というワードを好んで口にする。
「私は正論を言っている」
「私はみなが思っていながら言えないことを言っている。感謝しろ」
「正しいことを言っている私に、なんで歯向かうんだ」
もっとも、その「正しさ」の根拠はといえば、たいてい通俗的な道徳観念だったりする。気の毒なことに、彼の主張する「正しさ」を信じているのはご当人だけなのだが、それを驚くほど安易に一般化したがるのもこの手の輩の特徴である。
そもそも、「本音しか言いません」って要はコミュニケーションの放棄である。
相手の性格、性質を類推し、それによってこちらの出方を決めるのが「コミュニケーション」である。相手が大事な人ならば気を使った物言いをするし、論争相手であればわざと挑発してボロを出させる。あえて沈黙し、動揺を誘うのも有りだろう。「相手の気持ちを考える」とはそういうことだ。
一方的に「本音」(なるもの)をぶつけるのはアメリカ旅行中にアメリカ人相手にずっと日本語でまくし立て続けるようなもので、とりあえず迷惑だしウザいのであっち行って欲しい。俺がテキサス親父ならとっくに鉛弾を数発お見舞いしているところだ。
この手の「本音」信者さんってある種無邪気で、本音のぶつけ合いこそが真の信頼関係を構築するというファンタジーを信じてる人が多いんだけど、それはこれまで時間をかけて関係を構築してきた相手にのみ有効(な場合もある)ってお話であって、周囲の人間全員に等しく適用できるわけがない。
でも彼らは人によって出方を使い分けるということができないがために、思ったことをそのまま、何の捻りもなくぶつけることしか方法がない。「本音」信者は相手を恫喝しているように見えて、結局相手に甘えているのだ。
結果、彼らはうんこを周囲に撒き散らすだけなので当然のごとく嫌われ、賛同するごく一部の人間だけで凝り固まるようになる。そこから行き着く先はカルト化である。
いわゆる社会運動とか閉鎖的なオタクコミュニティに感じるある種の「正しくて」「無邪気」な空気と、彼らがカルト化していく道程はたぶん無関係ではない。
そんなわけで「本音」戦略、本人によっぽど魅力とか才能がない限りは人間関係がジリ貧になっていくだけなのでオススメできない。
天才のとる戦略を、凡人の我々がうっかり真似なんかするとエライ目に遭いますよ。ぼくらはジョブズにはなれないんですから。