【新作映画レビュー】ゲームの映画化でも舞台の映画化でもなく、特撮映画の文脈で評価すべき作品/『映画 刀剣乱舞』感想
【2019年:4本目】
映画 刀剣乱舞
※引用元 https://eiga.com/movie/88808/
75点
ひとこと:
ジャンル映画として100点。
とうらぶゲーム化まだー?なんてジョークが出るくらい、舞台にアニメにグッズにと、多方面でメディアミックスしているお化けコンテンツ・刀剣乱舞の映画版。
知らない人に説明しておくと、これ元々は舞台版が先にあって、(略して刀ステ。もうひとつミュージカル版の舞台もあって、こちらは刀ミュと呼ばれる)この映画版には舞台版のキャストも結構続投してる。一応本作は舞台ではなく「原作(ゲーム)の映画化」という位置づけではあるものの、後述しますが原作にはあまりストーリー性はないので、どちらかというと「舞台の映画化」って側面が結構強い。ただし脚本とかは映画用に新たに書き下ろされているし、登場するキャラクターも舞台版と比べるとかなり絞られてはいるので、そういう意味では別物ではあるんだけど。
で、本作の「舞台の映画化」という側面に注目したとき、最初に危惧したのが、舞台の映画化って失敗しやすいぞということ。
なんで失敗しやすいのか。それは舞台の面白さをそのまま映画で再現しようとしてしまうから。
舞台の面白さと映画の面白さって、ぜんぜん質が違うものなんですよ。
舞台というのは生の芝居です。歩けばすぐ手の届くところで本物の役者が演技している。しかもリアルタイムで。この距離感とライブ感、これが舞台鑑賞の醍醐味であることは言うまでもない。
そしてもうひとつ大きな要素が、舞台というのはリアリティラインが低いということ。
たとえば海の中という設定の芝居があったとして、別に舞台上に本物の水を持ち込む必要はない。役者が「ここは海だ」という体でちゃんとした芝居をすれば瞬時にそこは海になってしまうし、観客はそれで納得できちゃうわけです。この、役者の芝居の力で空間それ自体を作り出してしまうダイナミズム、これもまた舞台というジャンルの面白さ、豊かさでもあるわけです(もちろん舞台美術とか照明の重要さ、面白さというのはきちんと認識した上でのことですよ。舞台には役者以外必要ないと言ってるわけじゃないです)。
ただ、いま挙げたこの2つって、映画という媒体とは決定的に相性が悪いんですよ。
映画はあくまでスクリーンの上で繰り広げられる「完成された」作品であるわけで、観客は一歩引いた視点で鑑賞します。それゆえ、臨場感、ライブ感とは程遠い(『カメ止め』みたいに擬似ライブ感を作り上げてしまう例もあるけどね)。
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また、それゆえに、役者の芝居の力だけではどうしてもリアリティ面の不足を補い切れないという面がある。どんな一流の役者が一流の演技をしたって、「海の中」という舞台設定をすげえしょぼいCGで表現されたら一気に冷めちゃうじゃないですか。だからやはり美術とかきちんとした考証とか画面の広がりとか、そういうのが重要になってくる。
あとリアリティという観点から言うと、舞台の演技って必然的に声を張り上げるオーバーアクトになりがちなんだけど、それを映画でやったら「なにこの人こわい」ってなっちゃう。だから演技プランに関しても、舞台は舞台の、映画は映画の演技というのがあるんだってことを、作り手はちゃんと認識しなければならない。
かように舞台と映画とは質の違う媒体であるわけで、だとしたら舞台をそのまま映画でやったところで絶対に失敗してしまう。映画として成功させるには、面白さを「変換」させる過程がどうしても必要になるわけです。ただ、それがうまくできている作品というのは、残念ながらそう多くはない。
では今回、「刀剣乱舞」の映画版はどうかといいますと。
この映画版、ひとつ映画化にあたって非常に有利な条件として、そもそも原作(ゲーム)のリアリティライン自体がめちゃくちゃ低いというのが挙げられます。
要はこれ、刀がイケメンになって戦いまーすっていう超・荒唐無稽なお話なわけで、そこに「いや刀が人間の姿をしているのはおかしい」とか野暮なツッコミ入れるやつは即刻お帰りくださいってことじゃないですか。ファンタジーにリアリティがないとか文句つけたって仕方ないわけですから。つまり、一般的な意味でのリアリティの低さはあらかじめ分かったうえで観客は来ているんだから、「作品内リアリティ」の基準だけしっかり把握して、それさえ守っておけばそうみっともないことにはならない。ここに勝機がある。
※引用元 https://eiga.com/movie/88808/
あと、もうひとつ重要な要素として、最初に言ったように、そもそも原作ゲーム自体、別段、筋の通ったストーリーらしいストーリーは存在しないんですよ。基本的にはひたすらキャラ集めてレベル上げていくだけのクソゲー作業ゲーだし。アニメも2つ作られましたが、キャラクターだけ先に存在して、お話とかは基本、全部後付け。舞台版も同様。
要はこの原作、「正史」が存在しない。だからゲームはゲーム、アニメはアニメ、舞台は舞台。そして映画は映画。つまり、メディアミックスした媒体それぞれの独立性がきわめて高い。原作はあくまで「種」でしかなく、そこからどんな作物を収穫するかは各々次第。原作はあくまで基本的な設定を提供するだけで、すべてのメディアミックスを完全な二次創作と捉えることすら可能という、ちょっと不思議な作品体系なわけです。
そう考えると本作を「ゲームの映画化」あるいは「舞台の映画化」という文脈で考えるのは、実は誤りなんじゃないかと思う。では「映画は映画」という単体で考えればいいのかというと、それもちょっと乱暴。じゃあどう捉えるのが正解かってのは後ほど述べるとして、そうした背景を踏まえると、『映画 刀剣乱舞』を語る上で参考になりそうな先行事例は、堤幸彦監督版『真田十勇士』(2016)でしょう。
この映画、元ネタはもちろん「真田十勇士」伝承なんだけど、実はこれ、舞台の映画化でもある。つまり「設定だけが最初にあって、それをアレンジした舞台版が次にあって、それを元に作られた映画版」という過程が今回の刀剣乱舞に近い。
詳しくは以下でレビューしました。
この舞台、真面目な時代劇というよりはコメディ色の強いアクションドラマという感じで、映画版もそれを踏襲した作り。なのでキャラクターが平気で現代っぽい言葉遣いしたりするし、コスプレみたいなくノ一(大島優子!)は出てくるし、松坂桃李は空を飛ぶし、あげく冒頭10分はアニメだったりと、もう完全に開き直った作品になってます。で、今回の『映画 刀剣乱舞』は、題材的にも時代劇というよりかは、時代劇寄りのファンタジーアクションといったほうが正しいので、そういう意味でも『真田十勇士』は近いものがある。
ただ、『真田十勇士』はコメディに振り切っていたのに対して、こちらは「歴史とは何か」なんて重いテーマを持ち出してくる、結構真面目なお話。笑わせにくるシーンとかは少ない。
「え、リアリティラインが低いのにシリアス寄りって、それ大丈夫なの?」結論から言うと、全然大丈夫でした。なぜ大丈夫だったのか、それにはちゃんと理由があるのです。これも後ほど言います。
さて長々と前提を積み上げてきたところでそろそろ具体的な作品の話に移りたいんですが、まず最初の褒めポイントとして、これは多くの人が挙げてましたが、脚本が素晴らしいと思います。
※引用元 https://eiga.com/movie/88808/
何が良いって、なにしろ冒頭ですよ。本能寺の討ち入りのシーン。小気味良いアクションを交えながら、この物語の世界観、刀剣男士という存在の役割、そして彼らそれぞれの性格、さらには後に繋がる伏線までをも、過度に説明的になることもなく、かといって説明不足ということもなく、見事なバランスで途切れること無くスムーズに語っていく。もちろん編集とか演出、演者の力もあるんだろうけれど、この時点で観る前に抱いていた不安は吹っ飛んで、「あれ、この映画…なんかいい感じだぞ!?」と思わせるには十分。
その後の展開についても、邦画にありがちな「キャラクターが説明を始めるとお話の進行が停止してしまう」シーンというのが(ちょっと危ういところは数箇所あったにしろ)あまりないし、各キャラクターの描き分けや、彼らそれぞれの抱える背景なんかも、ちゃんとセリフでなくキャラの仕草とか表情で説明しようとしてるのが分かるし、演出の妙とか情報の出し方を工夫することによって、説明シーンをなんとか最小限に抑えようという作り手の努力が伝わってきて、素直に好感を持ちました。いや普通の映画ならまだしも、「刀剣男士」という、知らない人が聞いたら(゚Д゚)ハァ?な設定、世界観を一見さんの観客にもちゃんと飲み込ませるのって、結構難儀ですよ。それでこの出来なら合格点といえるんじゃないかな。脚本の小林靖子さん、良い仕事したと思います。
あと、作品を通して語られる「歴史とは何か」という問い。これに関しては正直、この2時間を通して語るには重すぎるテーマかなとも感じたんですが、それなりに納得感のある終わらせ方をしていて、これもまぁ深みはないにせよ、エンタメとしては合格点かなと思います。
ちなみに私事なんですが、この映画を観たときにちょうと宮部みゆきの『蒲生邸事件』を読んでましてね。これも「歴史を変えることは正しいのか」というテーマの作品なんですが、なんとなく不思議な巡り合わせを感じた次第(・ω・)歴史という、まるで意志を持ったかのような巨大な怪物に、人間という小さな存在はどこまで抗うことができるのか、そしてそれは正しいことなのかという問いかけ。このテーマについては、もし続編を作るのであればぜひ深化させていってもらいたいところ。
それと、ここは本当に褒めなきゃいけないと思ったポイントとしては、「画」ですね。
要は、絵的にダサいシーンが(一箇所を除いて)ほぼ皆無なんですよこの映画。
※引用元 https://eiga.com/movie/88808/
なんていうんでしょうか、ケレン味があるつーか、良い意味で超・大味。アクションは格好良く、役者は美しく見えるようにきちんと撮ってる。邦画のアクションで「見た目がカッコいい」って、それだけでも高く評価したいです。実はよくよく見るとCGがちゃちい出来だったり(本丸が襲撃されるところとかちょっとひどかった)、戦闘シーンで出てくるモブの数が少なかったり、ああ予算無かったんだな…(´・ω・`)みたいな事情が見え隠れする部分もなくはないんだけど、そういう貧乏臭さは少なくとも観てる間はあんまり感じることはなくて、ちゃんとスケールの大きな話に見える。もちろん先述のとおり、もともとリアリティラインが低い話だから「こまけぇことはいいんだよ」という前提が観客の中にあって、それゆえ気にならないという事情もあるんだけど、でもえらいよ!がんばったよ!
ちなみに役者陣について書いておくと、三日月役の鈴木拡樹は普通に横顔キレイ…と思いつつ眺めてたんですが、ちょっと予想以上だったのは日本号役の岩永洋昭さん。このひとマジ素晴らしいですね。もうなんか桁違いにスクリーン映えしてる。つーか日本号。どう見ても日本号。この日本号兄ィと一緒にお酒飲みたい次郎太刀レイヤーとは私のことだ。わはははは。
薬研・不動の短刀ズをアラサー男性が演じるのはちょっと心配だったんだけど、ちゃんと「大人びた少年」に見えたんでおじさん安心しました(´∀`*)あと個人的に、終始仏頂面の長谷部は出てくるたびに笑いました。健康診断で血圧引っかかりそう。
※引用元 https://eiga.com/movie/88808/ この2人はかわいい↑
てなわけで、絵的にも話の骨格も基本的に満足度は高かったんですが、もちろんいくつか不満点もありまして。
まず全体を通して残念だったのは、音楽ですね。とにかく印象に残らない。
先述の『真田十勇士』は、イタリア人作曲家の作った「真田十勇士のテーマ」みたいな曲がありまして、これがポップでありながら確かに時代劇っぽさもあって、結構格好良いんですよ。オープニングでアニメから実写に切り替わる瞬間にそれが勢いよく流れるもんだから、観てる方としては「うおーーーー!!」ってアガるわけ。『刀剣乱舞』には、そういうアガる音楽がない。
あ、ついでに指摘しておくと、オープニングのタイトルバックが意外と地味だったのはちょっとガッカリした。ここはやっぱりバーンとスタイリッシュに決めて欲しかった。まあ全体が真面目なトーンだからオープニングも抑えた感じで…みたいな意図もあったのかもだし、あとCGたくさん使うには予算が足りなかったのかもしれないけれど、だからこそオープニングくらいはカネかけて盛大にハジけて欲しかったなあというのが正直なところ。観客はアガりに来てるわけだからね。
あと、演出面でいうと、ここまで基本的には褒めモードで来たし、確かに全体として気を配ってるのはとても分かるんだけど、それでもときどきヌルい演出がひょっこり顔を覗かせる場面があって、これ、作品に集中してればしてるほどすっげえ興醒めするんで本当にやめてほしい。
一番ひでえなと思ったのはあれですね。観た人なら一発で分かると思いますが、(声をあわせて)「安土城!」のシーンですね。
さっき、絵的にダサいシーンが「一箇所を除いて」ほぼ皆無って言ったけど、その「一箇所」とはここだー!!そしてこのシーンめっちゃダサい!!!やめてーーーー!!!!
いや分かりますよ、やりたいことは。一応(かなり早い段階から観客はその事実を知らされていたとはいえ)伏線が回収されるシーンなわけだから、印象的にしたいってのは分かる。でもこれ、スプリット・スクリーン(画面分割)の一番まずい使い方ですよ。アニメなら違和感ないけど実写にすると急にダサくなっちゃうからダメ。シリアスなシーンなのにちょっと吹き出しちゃったよ!そういえば同じ東宝の『容疑者Xの献身』でもまったく似たようなスプリット・スクリーンのダサい使い方してたな。この邦画の悪習、誰か断ち切って!
(ただ、ひとつ擁護しておくと、ここでこういうマンガ的な演出を採用したのは、後述の作品的文脈から振り返ると「ああなるほど…」と一応納得できる話ではあります。でもやっぱりここは比較的リアル寄り、シリアス寄りのシーンなんだから、もっと重厚な演出を採用するべきだったと思う)
あとヌルい演出というと、これも別にこの映画だけの責任じゃないんだけど、人が撃たれたりして倒れる時に髪を振り乱しながらスローモーション(そして周りでは何か舞ってる)みたいなクラシカル(婉曲表現)な演出…いい加減やめませんかね。もう平成終わるよ?
あれですかね、日本の映画監督の皆さんは、髪を振り乱してスローモーションを入れなければ家族の命はないと人質を取られて脅されているんでしょうか。だったら仕方ないけど、そうじゃなかったらもうやめようよ、こういうのはさぁ…。何度観たんだって話じゃん。倒れるにしても、スローモーション使うにしても、もうちょっと撮り方いろいろあるじゃん…他はちゃんとカッコいいんだから。ここだけ浮いちゃうよ、これじゃあ。(なお、先ほどの「安土城!」と同じく、残念ながら俺は笑いました)
てなわけで、良いところ悪いところいろいろ個別に述べてきましたが、そろそろ総括に入りたいと思います。
メディアミックスとは何か、みたいな話をしているときに、本作を「ゲームの映画化」とか「舞台の映画化」という文脈で考えるのは、実は誤りなんじゃないかと述べました。また、「リアリティラインが低いのにシリアス寄り、でも作品的には全然オッケーだった」とも。
さて、そろそろ答えを出しましょう。
『映画 刀剣乱舞』はどんな文脈で捉えるべき作品なのか。
リアリティラインが低いにも関わらずハードでシリアスな内容、それが作品的にプラスに作用するジャンルとはなにか。
それは、
「特撮」です。
そう、
『映画 刀剣乱舞』は「特撮映画」なのです。
そう考えれば、すべてに合点がいきます。
特撮作品に、いわゆる「世間的な意味で言うところの」リアリティはありません。役者のセリフは不自然だし、CGは嘘くさいし、服装や小道具などのガジェットにしても、少なくとも実在感はない。にもかかわらず、特撮作品の中で繰り広げられる物語に興奮し、シリアスな展開におののき、時にキャラクターに感情移入し、涙してしまうのはなぜか。それは、特撮には特撮の「作品内リアリティ」があり、それをきちんと作品内で遵守する限りにおいては、観客は「そういう世界」という了解のもとで、「そういう世界の物語」として没入することができるからです。そう、まるで舞台の上で役者が「ここは海だ!」と叫べば一瞬にしてそこが海となるように。
本作『映画 刀剣乱舞』はまさしくそうした撮り方をされ、そうした文脈で楽しむべき映画です。本作が成功した最大の要因は、優れた特撮作品がそうであるように、「作品内リアリティ」のラインをしっかりと作り手が把握し、それを崩さぬよう最新の注意を払いながら脚本・演出を磨き上げていった点、これに尽きるでしょう。そういえば脚本の小林靖子さんは特撮畑で活躍されてる方ですしね。
※引用元 https://eiga.com/movie/88808/
また、特撮作品には、まだあどけなさの残る若手役者たちの「いま、この瞬間の輝き」を捉えるというアイドル映画的な魅力もあります(アイドル映画ってバカにしてるように聞こえるかもしれないけど、僕は全然そのつもりないですよ。アイドル映画に名作いっぱいあるし。むしろアイドル映画を馬鹿にするやつはぶん殴っていきたい所存)。
そういった意味でも、本作はきちんと押さえどころを押さえている。自分たちの作る映画のニーズがどこにあるか、作るに当たってどこを「魅せる」かをきちんと把握し、それをちゃんと形にできている。ジャンル映画として誠実に、真面目に作られた作品といえます。
すなわち、『映画 刀剣乱舞』は「ゲームの映画化」でも「舞台の映画化」でも、はたまた「時代劇」でもなく、あくまで「特撮映画」の文脈で捉えるべき映画であり、そしてその限りにおいては観客を十分に満足させてくれる、優れた作品であるというのが僕の結論です。
あくまで「ジャンル映画として」というカッコ付きではありますが、その上で本作は、間違いなく「劇場に観に行く価値のある映画」です。観に行こうか迷ってる人は、とりあえず観に行けばいいと思います。そう言い切れる程度には、僕はこの映画、オススメです。
次作は次郎太刀出してくんねえかな〜〜〜〜〜〜🍶
(2019/1/23鑑賞)