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【新作映画レビュー】もうひとりの自分と出会って大江戸温泉物語へ行こう!『あした世界が終わるとしても』感想

 

【2019年:8本目】

 

あした世界が終わるとしても

 

 

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66点

 

 


ひとこと:
セカイ系じゃなかった…?

 

 

 


ポスターだけだと分かりにくいけど、これ実はフルCGアニメなんですよ。
全編、アイドル系アニメのライブシーンみたいにキャラクターがぬるぬる動く。

 

これが最初は結構キツかった。
なんていうのかな、技術レベル自体は高いんだろうけど、日常の風景、つまり学校の教室とか街中をいかにもCGでーすとばかりにキャラにフワフワ動き回られると、観る側としてはすごく違和感があるというか、居心地が悪いというか。ちょっと昔の作品だけど、『プラトニック・チェーン』を思い出しました。

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 ただ、途中からは意外と慣れちゃって、あんまり気にならなくなりまして。ちょうど中盤くらいからバトルシーンとか異世界パートが増えたことでCGとの相性が良くなったというのもあるんだろうけれど、全体を通して見れば、序盤で「やべえ」と危惧したほどには映画の楽しみを損なうことはありませんでしたと言い添えておきます。なので途中で映画館を出てくるとかはやめたほうがいい。

 

 

ざっとお話を説明すると、今われわれがいるこの現代日本パラレルワールドとなる、もう一つの日本というのがありますよ、と。こちらは第二次大戦後、復興することもなく内線続きで荒廃していて、巫女みたいな格好をした王女が圧政を敷いている。この2つの世界にはどちらも同じ容姿の人間が存在しているんだけど、それぞれの生命は相互にリンクしている、つまり片方が死ぬと、もう片方も連動して死んでしまうという設定。

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現代日本の主人公「シン」とヒロイン「コトリ」は、ちょっと良い仲の幼馴染同士なんだけど、あちらの日本の主人公「ジン」は反政府レジスタンスで、ヒロインは王女様「コトコ」、つまり2人は敵同士。ジンはコトコの命を狙ってるんだけど、あちらの世界は警備厳重だからこっちの世界で対応してる人間殺ったほうがラクじゃね?ってことで、コトリを殺すためにこっちの世界にやって来てしまう、しかしコトコもそれに感づいて、ジンを撃退するためのアンドロイド双子をこっちの世界に送り込み…とまあこういうあらすじ。今どきちょっと珍しいくらいにストレートな、中二病セカイ系SFですね。少なくともこの時点では。

 

 

最初に苦言を呈しておくと、この設定そのものが悪いとは別に思わないんだけど、その説明というか語り口が上手くないです、この映画。

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序盤、主人公とヒロインがイチャイチャしてるシーンで唐突に場面が「あちらの日本」に切り替わって、ああこの映画はSFなんだなと分かるわけですが、その切り替わるタイミングのあまりの突飛さ。ちょっと笑うよねこれ。『K』1期第1話のヴァイスマン初登場シーンじゃないんだからさ。

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 そのあといろいろあって、まぁーた変なタイミングで今度は唐突にナレーションが始まる。で、さっき言った設定をクドクド「説明」し出すんだけど……もうちょいスマートにできないもんかね?
しかもこの時点でもうひとりの主人公(ジン)の正体も彼の目的も分かっちゃうもんだから、その後の展開、つまりシンとジンが出会ってからの戦闘シーン、ここはせっかくの序盤の見せ場のはずなのに、「こいつは何者だ?」「何が目的なんだ?」って興味の持続、物語的な推進力を大幅に損なってしまっているわけですよ。百歩譲って、さっきのナレーションで言った世界観説明、あれはジンの口から言わせときゃまだ話の腰を折らなかっただけマシだったろうに、なんでわざわざ取ってつけたような形にしたのか。 

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ちなみにいちいち突っ込みませんが、この映画は序盤のみならず、全編こんな調子です。基本、台詞で説明される。まあSFなんだから説明に時間が費やされるのはある程度仕方ないっちゃ仕方ないんだけど、後半、向こうの世界からの攻撃を受けてこちらの日本が大変なことになるんですが、その「大変」さもニュースのナレーションとか電話口でばかり「説明」されちゃうのはちょっと脱力。そのわりに細かい描写が雑だったりする。例えば、新宿が大変なことになってて自衛隊全滅とかテロップ出てるのに、同じ頃に渋谷ではスクランブル交差点を大勢の人がふっつーに歩いてるとか、誰かおかしいって突っ込まなかったのかよ!?って。

 

 

ただまあ、ここまでこうやって文句ばかり書いてますけど、実は作画と同じく序盤のツラさを乗り越えると、この映画は結構面白くなってくる。

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まず序盤の一件、すなわち「シンVSジン」≒「ヒロイン殺すのか殺さないのか問題」、いかにも盛り上がりそうに見えて、実はメチャクチャあっさり解決しちゃうんですよ。いきなりハズしてくるわけ。あげく、なんかいつの間にか仲良くなって、殺し屋の双子とかもまじえてデートとか行ってるの、こいつら。ここもまぁツッコミが追いつかない箇所で、いや、いいけどさ…お前の隣でスイーツ食ってるその娘、昨日まで何の罪もない人をバラバラに惨殺してたんだけど、その件に関しては不問なんだ?とか、そのことを一切気にかけない主人公とヒロインのメンタル強すぎとか、後の展開から考えるとここでお前らが呑気に遊んだりしていなければすべて平和裏に解決してたんじゃねえか問題とか、まあいろいろあるんですけど、それもこの際どうでもよくて。

 

 

重要なのは、ここで結構意外な「マジで?」って展開があるんですよ。え、このあとどうすんのこれ?って。
で、ここからは、物語において非常に重要なピースのひとつが完全に欠けたまま、物語はラストまで突き進んでしまう。1箇所だけ申し訳程度に再登場したけど(ついでに言うと、あそこであのキャラが言う理屈もビタイチ飲み込めないんだけど)、それ以外はマジでフェイドアウト

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いやさ、途中でこういう展開になる作品でも、だいたいそのあと何とか理由つけてまた物語に復帰させるのが普通じゃないですか。でも本作はそれをしないんですよ。なので、以降の展開は、どっちかというとバディ感が強くなっていく。主人公✕主人公の、言ってみればホモソーシャル的友情がメインとなる(あと双子の百合)。てっきり普通のセカイ系だと思ってぼーっと眺めていたので、この唐突な路線変更にはびっくりさせられたし、正直、結構ワクワクした。ポスターからも全然そんな雰囲気は感じられなかったので、これは完全に不意打ちでした。

 

 

あとまあ、これは明確に褒めポイントと捉えてもらって良いんですが、戦闘シーンはしっかりしてたし、コスチュームデザインなんかもまあ格好良い&可愛いし、そういうアニメ的な快感、基礎的な部分はちゃんと押さえていたと思います。もうひとつの日本があんな大江戸温泉物語みたいなので良いのかという疑問は沸くにしろ(あの大江戸温泉物語現代日本に移転したりまた消えたりしてたけど、そこに元々あった建物とかどうしたんだろうね)

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あともうひとつ、この映画の大きな美点として指摘しておきたいのは、短さですね。93分しかないの。なので結構コンパクト。登場人物の数が少ないこととか、四の五の言わずにすぐ本題に入るところ、主人公がウジウジ悩んでる時間が比較的少ないところ、あとラスボス戦やそのあとのエピローグをむやみに引き伸ばさず、あっさり切ってるところなんかは良いなと思いました。

 

 

ちなみにあのラストですが、一部で論議を呼んでいるようで。
ネタバレを避けて言うけれど、俺はあのラストシーンは、主人公の視た幻想だと思いますね(`・ω・´)

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だってその前にあちらの世界での◯◯◯のシーンをわざわざ入れたってことは、やっぱりそういうことなんじゃないの?と。主人公はこの物語を通して、この世界で自分が生きる意味と役割を、周囲の誰かでなく自分自身の中に見つけたということなんだから、最後のあのシーンが現実だとすると結局主人公は何も変わってないのでは?って解釈になっちゃいませんかね。だからあのシーンは幻想。
そう考えると、「主人公が世界の本当の姿を知り、その中で自分が果たすべき役割を見つける」という本作の構造は、M・ナイト・シャマランの作品に通じるところがある。本作が『ミスター・ガラス』と同時期に公開されたのは不思議なめぐり合わせを感じる…なんてのはシャマラニストの戯言。

 


あ、そういえば、観終わって思ったけど、タイトル、びっくりするほど合ってないな。
“あした世界が終わるとしても”……何?

 


(2019/2/6鑑賞)

【新作映画レビュー】こいつが大統領になっても、世界はたいして変わらなかっただろうよ。『フロントランナー』感想

 

【2019年:7本目】

 

フロントランナー

 

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42点

 

 

 

ひとこと:
脇が甘い人が脇が甘い失敗をする話。

 

 

1988年のアメリカ大統領選挙において民主党最有力候補(フロントランナー)と目されながら、選挙中の不倫スキャンダルによって表舞台を去った若き政治家ゲイリー・ハートの波乱の3週間を書いた政治ドラマ。監督は『マイレージ、マイライフ』などのジェイソン・ライトマン。主人公ゲイリー・ハートを演じるのは『グレイテスト・ショーマン』のヒュー・ジャックマン

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この選挙で実際に勝利したのはこの間亡くなったパパ・ブッシュ。このあとアメリカは湾岸戦争に突入していくのはご存知のとおり。トランプ政権も多方面からフルボッコされてるこのご時世に、多分にハリウッド・リベラル的な視点から、歴史の渦に飲み込まれていった「IF」を発掘してみましょうや、という企画。その手つきの好悪はこのさい横に置くとして、あらすじだけ聞くとなかなか興味深い題材ではある。

 

 

だが実際のところ、この映画が興味深いのはせいぜいオープニングまで。結論からいえば、つまらない。とにかく、ひたすら平板で退屈。なんなら中盤とかうっかり眠くなっちゃった。これはちょっと、相当な期待外れと言わざるを得ない出来でありました。

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なにしろ、主人公のゲイリー・ハートがまったく魅力的な人に見えない。
ヒュー・ジャックマンが演じているのに、である。

 

 

ヒュー・ジャックマンのインタビューによると、このゲイリー・ハートって人、まだそんなに有名になってない頃のスティーブ・ジョブズに会うために彼の家のガレージにまで足を運んだなんてエピソードもあるくらい、今から見てもかなり先見的で型破りな政治家だったとのこと。なんなら「ケネディの再来」とまで言われてた、そのくらい期待されていた人らしいんですな。
この映画、つまるところ「高邁な理想(政治思想、政策)が、世俗的な現実(不倫スキャンダル)の前に敗れ去る」話なわけで、つまり「もし彼が大統領になっていたら、世界はどう変わっていただろうか」「彼を潰したアメリカの選択は本当に正しかったのだろうか」という、未来を生きるわれわれ観客に対する現代的、普遍的な問いかけになるのが普通だと思うんです。

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てことは、ゲイリー・ハートの魅力的な部分とダメな部分、双方をちゃんと描かなければならない。彼という人間を深く掘り下げた上で、この人の長所も短所も含めてあなたはどう判断しますか、という問いかけにならなきゃいけない。実際、このスキャンダルは、政策の良し悪しではなく品行方正さで政治家の評価を決める風潮ができてしまった歴史的な転換点とも言われていて、ゲイリー・ハートという人間を清濁併せ持った存在としてきちんと描けばこそ、こういう題材をあえていま取り上げる意味というのも明瞭に浮かび上がったと思うんですよ。

 

 

でもこの映画は、ほとんど彼の短所しか描いてくれない。
いや…短所ってほど大仰なもんでもないな。単にアホというか、脇が甘いところばっかり描写される。選挙期間の真っ最中に愛人を事務所に連れ込むわ記者にキレるわ過去にも不倫してたこと暴露されるわ、とても有能な政治家には見えない。

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いや、起こってること自体は史実なんだから仕方ないけど、描き方ってもんがあるじゃないですか。彼のそういう好色なところとか脇の甘さも、彼の魅力と地続きなもの、つまり誰からも愛されるという長所の裏返しとして女性と深い仲になっちゃうとか、完璧な人間を演じることの捌け口をどこかに求めていたからこそそういう関係に走っちゃったのかなと観客がちょっと同情してしまうとか、そういうふうに描くんなら(ベタだけど)まぁ分かるんですよ。
でも彼の魅力の部分は描いてくれないからさ、この映画。彼がもっともアメリカ国民に向けて訴えたかった部分、つまり政治政策についてもぜんっぜん触れられないし。後半の記者会見のシーンで記者の質問に一問一答するくだりはヒュー・ジャックマン任せの実質アドリブらしいんだけど、そこでの彼の熱演もぜんぜん活かせてない。結局、観終えても、やっぱりこいつ大統領にしなくて正解だったんじゃねえの?って感想しか浮かんでこない。

 

 

周囲の人たちの描き方もなあ…せっかくJ・Kシモンズとか、他にも良い役者を起用してんのに、こちらもまた印象に残らない。みんなただの背景、書き割りでしたねえ。

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唯一、黒人記者だけは面白くなりそうなキャラだったんですけどね。彼自身はゲイリー・ハートを心から尊敬していて仲間内でも庇っているんだけど、同時に記者としての職業倫理、使命感にも駆られているという、グラグラ揺れ動いてるキャラクター。彼が心変わりするきっかけもなんか曖昧だったし(まさかあの給湯室での女性記者との会話だけってことじゃないよな?)、もったいない。むしろこの記者とゲイリー・ハートの関係に絞って描いたほうがよほど面白くなったんじゃないの?

 

 

ただ、穿った味方をするなら、この「主人公の魅力のなさ」ってのがある意味、作り手の狙い通りだったという可能性もなくはないですけどね。要は「政治なんてこんなもんだよ~」とか「こんなのを大統領にしようとしてたお前らアメリカ国民バーカ!」ってメッセージの映画だったとしたら、この作りも分かんなくはない。コーエン兄弟の『バーン・アフター・リーディング』みたいな、観終えて何も残らない虚無感を狙ったというか。まあ違うと思うけど。

ジェイソン・ライトマン…『マイレージ、マイライフ』も『ヤング≒アダルト』も好きだったんだけどなあ。本作のキレのなさはちょっと予想外。どうしてしまったのだろう。実はこのひと、共和党支持者?民主党はクソだと訴えかけるためにこんな映画作ったの?そんな邪推すらしたくなる。

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こんな大統領候補サマでは『タクシー・ドライバー』のトラヴィスも意気消沈待ったなし。というわけで、本作を観に行くくらいなら、場末のポルノ映画館にでも足を運ぶのがオススメです。くれぐれもガールフレンドは誘っちゃダメだぞ。

タクシードライバー (字幕版)
 

 

 

(2019.2.3鑑賞)

 

【新作映画レビュー】オールスター俳優と豪華セットで送るシンメトリー映画『マスカレード・ホテル』感想(ネタバレなし)

 

【2019年:6本目】

 

マスカレード・ホテル

 

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82点

 

 


ひとこと:
鈴木雅之監督作品ではじめて良いと思った。

 

 

 

東野圭吾原作。キムタク主演。
だが、その前に本作、鈴木雅之監督作品である。

 

この鈴木さん、もともとテレビドラマの演出で有名な方ですが、以下のフィルモグラフィー見ても、正直「(´・ω・`)・・・・・・。」ってなってしまう類の監督さんなのはご理解いただけるのではないかと思う。

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鈴木監督の演出はわかりやすい特徴があって、それはシンメトリーを多用すること。とにかく画面の真ん中とか両端にヒトやモノを置いて左右対称の構図を作りたがるの、この人。

この特徴がいちばんよく現れてると思うのが、『古畑任三郎』3rdシーズン第2話の『その男、多忙につき』というエピソード(ゲストの犯人役は真田広之)。

古畑任三郎 3rd season DVD-BOX

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 冒頭から、事件の舞台となるホテル(今回の映画とも通じるね)の遠景→ロビーの風景→掲げられたロゴマーク→部屋のドア→電話が鳴り続ける部屋の中の風景→電話をとる真田広之、という流れをひたすら左右対称構図でスピーディーに重ねていく。
続いてエレベーターの中で会話する2人(この構図も今回の映画にあったね)→部屋のソファに向かい合う2人→事務所にドアを開けて入ってくる真田広之→自分のデスクで拳銃を取り出す真田広之とにかくあらゆる構図がシンメトリー、シンメトリー、シンメトリー。

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まぁちょっとしつこいかなとも思うけど、実はこの話はホテルのロゴマークとか建物の構造が解決のキーポイントになるので、そういう意味ではあからさまに目に見えている手がかりを演出で目くらましする効果も生んでいて、脚本面の危ういところを演出で上手いところ補ってる例なんじゃないかなと思います。

 

ただまあ、同じシンメトリー大好き人間でも、ウェス・アンダーソンほど偏執的ってわけでもなく、あくまでドラマ的、テレビ的な、ポップで軽い感じの絵作りをする人ではある。なので基本、映画とはあんまり相性良くない。これまでの監督作がどうにも画面から安っぽさから抜けられない出来の作品ばかりだったのは、そのへん関係してんじゃないかなあと思う。

 


ただ今回の映画に限っていえば、そういう、これまでうまくいっていなかった鈴木演出が、はじめてプラス効果を生んでいる作品だと思いました。
すなわち、良かった。ちゃんと「映画として」面白かった。

 


まず第一に、貧乏臭くないのがいいっスね。
本作、お話としては、東京都心の一等地にある名門ホテルにキムタク演じる捜査官がホテルマンに化けて潜入して、紛れ込んでいる殺人犯を見つけるという筋書きですね。俺は原作既読なんですが、この小説、ミステリとはいうもののお仕事小説的な要素が強くて、ホテルマンがいかに自分たちの仕事にプライドをもっているか、そういうプロ意識の描写にかなり分量が割かれている。

マスカレード・ホテル (集英社文庫)

マスカレード・ホテル (集英社文庫)

 

 つまり、ある意味では本作、キムタクも長澤まさみも犯人もあくまで駒に過ぎなくて、ホテルそのものが主人公ともいえるわけです。ということは、俳優以上に「ホテル」という空間の描写がすごく重要になってくる。セットの作りとか撮り方がショボかったら、もう一気に目も当てられない作品になってしまう。

 

 豪華ホテルを舞台に大物俳優勢揃い映画、っていうと三谷幸喜THE 有頂天ホテルが思い浮かびますが、あのホテルとか悪い例だと思います。

THE 有頂天ホテル

THE 有頂天ホテル

 

こちらも本作と同じくロビーの風景から映画が始まるんだけど、もうひどいの。いかにも「セットでーす!」「この部分しか作ってないでーす!」って感じの画になっちゃって、もっのすげえ貧乏臭いの。セット自体は種田陽平さんという一流の方が作っているのに、撮り方、切り取り方が悪いせいで目も当てられない。客室のセットとかも明らかに非現実的だし、あのホテルが実在してるようにはとても見えない。

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有頂天ホテルの「ホテル」。

 

それと比較すると本作のホテルは、すごくいい。
ロビーのセットは日本最大のスタジオを使用して作ったらしくて、もちろんその出来もいいんだけど、何より、このロビーの外、つまり玄関ドアとか上の階とか、「外の世界」がちゃんと感じられる撮り方をしているのがいい。鈴木演出お得意のシンメトリー構図が豪華な美術と相まって、意外なほどに画面がリッチに収まってる。客室や廊下、エレベーター、バックヤードの描写も手抜かりがなくて、ちゃんとこのホテルが実在して、ここで働く人たちも本当にいるんだという映画的な説得力、スケール感を与え、ホテルに「生命」を吹き込んでいる。美術さんも撮影監督も、そしてそれらをまとめた監督も、皆さんすごくいい仕事したと思います。

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あと、鈴木演出が効果的に使われてる場面、結構いっぱいありました。 

例えば、この映画の2人の主人公は、最初はお互い反発しているんだけど次第に仲良くなって、最後は(異性同士だけど)一種のバディものみたいになるんだけど、面白いのは、2人はそれぞれ「人を疑う職業」(刑事)と「人を信じる職業」(ホテルマン)という、まったく対照的な職に就いていながら、それぞれ自分の仕事にたいするプロ意識という一点においては共通しているそこをとっかかりに仲が深まっていくと、こういう構図なわけですね。つまり主人公2人そのものがシンメトリーな関係にある。原作からして、実は鈴木雅之監督の演出にぴったりな構図を内包しているわけです。

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なので、たとえばオープニングタイトルが出るタイミングは、お互い背中合わせの方向を向いた2人の構図から始まるわけ。この時点では2人はまだ心が繋がってませんよ、と。その後、クロークやエレベーター、屋上など、2人が画面の真ん中あるいは両端に収まる、「向かい合う」「横に並ぶ」構図が頻繁に登場する。そういう過程を経て2人の信頼、絆が深まっていく。

そりゃ、別にテクニック的に上手いとかは言わない。ベタっちゃあベタですよ。でも、たしかにこの原作の映画化にこの監督を起用したのはいいチョイスだなと思わせる、そのくらいには十分マッチしているし、演出が原作の魅力をちゃんと捉えて映画的なハッタリとして昇華できていると思いました。

 

まぁ、とはいうものの、やっぱりテレビ的な香りというのはちょっと残っていて、思いっきりリアリティ欠いてて興醒めな部分とか、なくはないんですけどね。

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たとえば中盤の生瀬勝久のエピソード。あれ、生瀬勝久演じる栗原という男が新田刑事(キムタク)に真相を吐露するのは、原作では応接室なんですよ。でもこっちだとロビーで他の客とかが見守る中でベラベラ喋り始めるわけ。いや不自然だろ。とりあえずそいつを別の場所に連れて行けよ、一流のホテルマンならさあ。まわりの客もなに神妙な顔して聞いてんのよ。ボーッと突っ立っちゃって。

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あと、これ全般的に気になったんだけど、テルマン同士の会話、いちいち声張り上げすぎじゃないすかね?いやそれ客に聞こえてるけど大丈夫?って妙な心配しちゃいました。こういうあたり、やっぱり映画的というよりかはテレビ的だなあという感じがする。残念。もったいない。

 


あ、あと一点だけ、どうしてもミステリ的に看過できない演出があったので、それだけは指摘しておきます。
ここだけはネタバレになるのでfusetterで↓

 

あと残念といえば、エピローグが明らかに長すぎてなあ…
まだ登場人物の会話が続いてるうちからエンドロールのテロップが出始める、これは別にいい。でもそこから始まる「お疲れ様でした」的会話がけっこう長い。で、すべてが終わってキムタクがホテルから出ていく。ホテルの玄関が(やはりシンメトリーで)大写しになる。お、これで終わりか。なかなかいいじゃん、と思ってるとまだまだ続く。で、そこでちょっとびっくりするヘンテコ演出があって、その後さらにダラダラやったあとで、ようやく乾杯して終わり、と。

なげえよ。

キムタクがホテル出ていくところでビシッ!と終わりでいいじゃん。それで締まるじゃん。なんで引き伸ばすのよー。もー。

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いや、一応原作もラストシーンは乾杯で終わるんだけど、あれ、終わり際にやたらダサくなるという東野圭吾の悪い癖のひとつだからそこは踏襲しなくていい(『容疑者Xの献身』の原作でのガリレオの最後のセリフとかな)。その前に出てくる「はぁ?」な演出も謎だったしなあ…ここもまた妙にダサい。なんか、最後に至って急に鈴木演出のテレビ的な悪さが一気に吹き出しちゃった感じですね。ちなみにエンドロールで変なJ-POP流さなかったのは評価ポイントです。

 

 

あ、いまさらだけどキャストは良かったですね。オールスター映画ならではのビッグネーム揃いだけど、概ねハマっていたと思います。
キムタクはいつも通り。『検察側の罪人』ではちょっと嫌な人の役に挑戦してたけど、今回は東野圭吾「原作からしてキムタクイメージして書いてました」と公言してるくらいキムタクofキムタクなキャラなんで、まあ当然というかハマり役。長澤まさみも安定して良い。

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でも本作のMVPは、なんといっても小日向文世。あの、ヘラヘラしてて愛想は良いんだけど目がまったく笑ってないというか、信用出来ない感じ。敵か味方か容易には判別不能な、なんとも言えぬ居心地の悪さ。それでいていざ動き始めると超有能。この能勢刑事ってキャラは原作からしてこういう底の知れない奴なんですが、いやマジで体現してました。素晴らしかったです。(◯◯◯城のところの「ニヤリ」とか最高)

 

 

てなわけで、結論としてはいろいろ文句つけつつも、かなり楽しかったです。

原作既読派としても満足、東野圭吾の映像化作品として見ても、かなり上位に位置する作品じゃないでしょうか。いかにもテレビ的な娯楽大作であり、実際そのとおりではあるけど、舐めてかかったら意外と拾い物という嬉しい驚きに出会えた作品でした。オススメです。

 

(2019.2.1鑑賞)

 

【新作映画レビュー】ホラー映画より怖い!最低最悪の進捗確認ドキュメンタリー『FYRE: 夢に終わった史上最高のパーティー』感想

 

【2019年:5本目】

 

FYRE: 夢に終わった史上最高のパーティー

 

 

 

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80点

 

 

 

 

ひとこと:

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これNetflixのオリジナル番組なんだけど、海外wikiで確認したら「film」に分類されてたんで一応このブログでも「映画」カテゴリで扱います。

 

俺はフェスとかそういう関連には疎いのでまったく知らなかったんだけど、2017年春に開催され、史上最悪とも称される大失敗に終わった音楽フェス、その名も「Fyre Festival」ってのがありまして、本作はそれを取り上げたドキュメンタリー。実は同じ時期にhuluでもこれを扱った番組が作られてますが、こちらは残念ながら日本語訳つきでの配信は行われていない模様。

 

フェスの名称にもなってるこの「FYRE」ってのは、アプリとその開発会社の名前。どんなアプリかっていうと、芸能人とかアーティストを自分の開催するイベントに呼びたいときに、事務所通した面倒臭い手続きとかせずに直接予約のやりとりできちゃうよっていう、結構すごい代物。創業者のビリー・マクファーランド(こいつが今回の元凶)は、ラッパーのジャ・ルールワイルド・スピードとか最狂絶叫計画とかに出てたひと)と組んでこのアプリを大々的に発表。芸能界に革命を起こそうと目論んでいたのでした。

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↑左がビリー、右がジャ・ルール

で、ひょんなことから、アプリの宣伝も兼ねて俺らで音楽フェスでも開こうぜという運びになりました。ここまではまぁ、いい。
問題は、彼らの中にこうしたイベントの運営経験者がいなかったこと、そして宣伝に力を入れすぎ、収拾がつかないほど大風呂敷を広げに広げてしまったことであった。

 

 

さて、バハマに浮かぶ美しい島を買ったビリーは、人気モデルやインスタグラマーたちを引き連れ、小型飛行機で颯爽と参上。澄みわたる青空と海と砂浜をバックに、ええケツとええチチしたねーちゃんたちと一緒に飲めや歌えの大騒ぎ。広告会社はそれを撮影&加工し、実に魅力的なPVに仕立て上げてしまう。それをインフルエンサーたちが拡散。世界一リッチでゴージャスな音楽フェス開催の知らせは、またたく間に世界中に広まっていく。

ちなみにそのときに作られたPVは、いまでも観ることができます↓



お客様は専用機で島までご案内。ゴージャスなヴィラでの宿泊プランから別荘プラン、専用シェフ付きクルーザープランまで各種ご用意。もちろん出演アーティストは一流ばかり。お値段はおひとり様、数十~数千万円。この高額っぷりにも関わらずチケットは2日で売り切れ、全世界から数千人が一挙にこの島に集うことになりましたとさ。

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OK、OK。宣伝は大成功。評判も上々。あとは開催するだけだね。
が、ここから歯車は大きく狂い始める。

 

まずPVに「元麻薬王の持ってた島でーす☆」とかノリで書いちゃったおかげで島のオーナー激おこ。急遽、島ではなく近隣の海辺の宅建設予定地に開催場所を変更する羽目に。でも参加者にはそんなこと知らせない。

「ていうかこのスペースでこの人数無理じゃね?インフラは?トイレ確保とかどうすんの?」とツッコミを入れたスタッフ、解雇。別のスタッフが必死に宿泊場所の確保に動くが、どう考えても予定人数を収容するのは無理ぽ。「アカン。チケット払戻ししてください」と懇願するも、主催からは「がんばれ。やればできる」イカした激励。さあ、なんだか雲行きが怪しくなってまいりました。

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人手も足りなきゃノウハウもない。よく見りゃ実はカネもない。何がどこまでできているのか、何が決定しているのか、それすら誰も把握していない。大混乱する現場。でも主催のビリーは松岡修造テンション「できるできる絶対できるやれるって気持ちの問題だ!がんばれがんばれ積極的にポジティブにがんばれ!」とか言うばかり。その言葉に突き動かされ、あるいはもう走り出してしまった責任感からか、不眠不休、無我夢中で頑張るスタッフ。しかし、彼らの懸命な努力は、「事前中止or延期」という、ギリ踏みとどまる選択肢を除外させ、徐々に事態を最悪の結末へと導いてしまう。

 

 

フェスの開催が近づくと、参加者からも不安の声が出始めた。
開催間近なのにフェス側からの連絡がない。公式ホームページの掲示板には、どの飛行機に乗ればいいの?着いたらどうすりゃいいの?という書き込みが相次ぐが当然のごとくスルー。批判コメは削除。そのくせ「フェス期間中に使うバンド(決済システム搭載)にお金を入れてね!みんなは平均3000ドル入れてるわよ♡」とか煽ってくる。なんか最近も日本で某旅行会社が似たように事前入金募って計画倒産してた気がするが気にしない、気にしない。「よく調べたらそもそもここって島じゃないやんけ。フォトショで雑加工してんじゃねえぞタワケ」と怒った参加者が告発アカウントを作るも、こちらは特に注目されず。

 

そして迎えたフェス当日。
参加者たちは普通の737機体にロゴを貼り付けただけの専用機(笑)バハマに到着。彼らは現地を見て悲鳴をあげる。目に入ってくるのは豪華ヴィラではなく、避難用のしょぼいテントの群れ。しかも前夜の雨で中の布団は水浸し。別荘は?豪華な食事は?クルーザーは?アーティストはどこにいるの?誰も答えられない。やってられっか帰るぞ!あっ帰りの飛行機もねえ!!水も電気も食料もない極限状態に置かれた参加者はテントを奪い合い、いつしか物資の略奪と暴徒化が始まった。こうして、史上最高に豪華なフェスは、大パニックのさなか、当日中止という最悪の形で幕を下ろしたのであった。

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以上で、このドキュメンタリーの「前半」は終了である。

 

 

 

 

さて…何が悪かったのだろう。


いや全部悪かったんだけど、最大の原因は、こいつら(運営側)が自分たちを高く見積もりすぎたことだと思うのよね要はうぬぼれてた。うーむ、こう書くと陳腐ですな。でも本件の場合、それがSNSマーケティングと密接に絡んでるところに、本案件の救いようのなさ、病理の根深さがあるように感じるのですよ。

 

「分裂勘違い君劇場」というブログを運営してるふろむださんという人の書いた、『人生は、運よりも実力よりも「勘違いさせる力」で決まっている』という長いタイトルの本がある。

人生は、運よりも実力よりも「勘違いさせる力」で決まっている

人生は、運よりも実力よりも「勘違いさせる力」で決まっている

 

 この本の中で著者は、人間の評価はその実力ではなく、「錯覚資産」、つまり実際の実力以上のものを持っていると錯覚させる認知バイアスにあるとして、その分析を行っている。いわゆるハロー効果というやつである。例えば顔がいい人間、Twitterやインスタで人気のある人間、ある一点において優れた業績を残した人間は、その長所や業績以外の面でも全面的に優れているように見えてしまうというわけだ。以下引用。

「実力がある」から、よいポジションを手に入れられるのではなく、「実力があると周囲が錯覚する」から、よいポジションを手に入れているのだ。

そもそも起業した会社が上場したことと、その人の発言内容の正しさに、なんの関係がある?「この人の起業した会社は上場した。だからその人の言っていることは正しい」この「だから」は、まったく論理的ではない。この前提から、この結論は導けない。こんなもの、ハロー効果以外のなにものでもない。

ビリーはたしかに新進気鋭の実業家としてメディアではスター扱いだった。そんな彼がやるんだから、きっとすごいことになる。大成功するに決まってる。見てみろよ、PVに登場した美しいモデルやインスタグラマーを。彼女たちが参加しているんだ、信用できるに決まってる、そうに違いない…

周囲の人間だけでない。おそらくビリー自身も、自分自身の「錯覚資産」に惑わされ、成功を疑っていなかったのだろう。そこに今回の悲劇の発端がある。

 

 

「錯覚資産」の最たるものは、最初に作られたPVだ。
実際のところ、このPVは美しい。素晴らしい出来だ。つまり、このフェスのマーケティングは上手かった。めちゃくちゃ上手かった。主催者はインフルエンサーを利用して全世界に宣伝してもらう。インフルエンサーは「選ばれた人間」としての自分をアピールし、世界最高のフェスに無料でご招待してもらえちゃう。両者にWIN-WIN関係が成立したこの宣伝企画は、大成功してしまった。

 

しかし結局、「世界最高のフェス」は実現しなかった。このPVの中だけでしか存在し得なかったのだ。
ビリーたち主催者は、とことん現実を見ていなかった。現実に、いま目の前で必死に問題に対処し、事態を収拾しようとするスタッフや労働者、フェスの開催を心待ちにする参加者たちの姿が、目に入っていなかった。ビリーの目に写っていたのは、スマホの画面越しに見る、美しい海、空、砂浜の動画、それだけだったのだ。

 

このドキュメンタリーの結末近くで、とあるスタッフが当時を振り返って言う、印象的な言葉がある。
「自分の投稿を見てみると、美しい海辺と日没だらけ。人生で最も辛い経験だったのに、もし君が投稿を見たら、”すばらしい” バハマに住んで毎日海に行ける”…ファイアはそういう現象の究極だった」

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 現実で艱難辛苦を味わった彼らにとって、スマホ越しの美しい風景は、なんとも皮肉に映ったことだろう。

 

それにしても、開催当日に至るまでの、永遠に続くかの如き「進捗どうですか?」状態(ウルトラハードモード)、そこいらのホラー映画よりはるかに怖い。
最後のトドメのように前日夜に大雨がきてテントが水浸しになってたけど、あれとかもうタイミング良すぎてむしろ笑うよね。インタビュー受けたスタッフも爆笑してたし。本当に絶望的な状況になると人は笑うってのがよく分かる事案でありました。

 

 

ところで先ほど、ここまででこのドキュメンタリーの「前半」は終了である、と書いた。
そう、まだ半分なのだ。

 

後半はフェス失敗の「その後」が書かれるのだが、実は関係者には隠されていたあれやこれやがしだいに明らかになり……ここから先はあえて言わない。というかむしろ、ここからが本番。ぜひご自身の目でご覧ください。

 


吐き気をもよおすクズというものを。

 

 

 

 


余談ですが本作、BGMにデヴィッド・フィンチャー作品のサントラが使われております。いやー、一線を越えたもはや笑うしかない殺伐さとか含めて、なんか妙に内容と合ってたよね。

 

(2019/1/27鑑賞)

 

 

【新作映画レビュー】ゲームの映画化でも舞台の映画化でもなく、特撮映画の文脈で評価すべき作品/『映画 刀剣乱舞』感想


【2019年:4本目】


映画  刀剣乱舞

 

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※引用元 https://eiga.com/movie/88808/

 

 

 

 

75点

 

 

 

 


ひとこと:
ジャンル映画として100点。

 

 

 



とうらぶゲーム化まだー?なんてジョークが出るくらい、舞台にアニメにグッズにと、多方面でメディアミックスしているお化けコンテンツ・刀剣乱舞の映画版。

知らない人に説明しておくと、これ元々は舞台版が先にあって、(略して刀ステ。もうひとつミュージカル版の舞台もあって、こちらは刀ミュと呼ばれる)この映画版には舞台版のキャストも結構続投してる。一応本作は舞台ではなく「原作(ゲーム)の映画化」という位置づけではあるものの、後述しますが原作にはあまりストーリー性はないので、どちらかというと「舞台の映画化」って側面が結構強い。ただし脚本とかは映画用に新たに書き下ろされているし、登場するキャラクターも舞台版と比べるとかなり絞られてはいるので、そういう意味では別物ではあるんだけど。

 

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で、本作の「舞台の映画化」という側面に注目したとき、最初に危惧したのが、舞台の映画化って失敗しやすいぞということ。
なんで失敗しやすいのか。それは舞台の面白さをそのまま映画で再現しようとしてしまうから。

 


舞台の面白さと映画の面白さって、ぜんぜん質が違うものなんですよ。
舞台というのは生の芝居です。歩けばすぐ手の届くところで本物の役者が演技している。しかもリアルタイムで。この距離感ライブ感、これが舞台鑑賞の醍醐味であることは言うまでもない。

そしてもうひとつ大きな要素が、舞台というのはリアリティラインが低いということ。
たとえば海の中という設定の芝居があったとして、別に舞台上に本物の水を持ち込む必要はない。役者が「ここは海だ」という体でちゃんとした芝居をすれば瞬時にそこは海になってしまうし、観客はそれで納得できちゃうわけです。この、役者の芝居の力で空間それ自体を作り出してしまうダイナミズム、これもまた舞台というジャンルの面白さ、豊かさでもあるわけです(もちろん舞台美術とか照明の重要さ、面白さというのはきちんと認識した上でのことですよ。舞台には役者以外必要ないと言ってるわけじゃないです)

 


ただ、いま挙げたこの2つって、映画という媒体とは決定的に相性が悪いんですよ。
映画はあくまでスクリーンの上で繰り広げられる「完成された」作品であるわけで、観客は一歩引いた視点で鑑賞します。それゆえ、臨場感、ライブ感とは程遠い(『カメ止め』みたいに擬似ライブ感を作り上げてしまう例もあるけどね)

カメラを止めるな!

カメラを止めるな!

また、それゆえに、役者の芝居の力だけではどうしてもリアリティ面の不足を補い切れないという面がある。どんな一流の役者が一流の演技をしたって、「海の中」という舞台設定をすげえしょぼいCGで表現されたら一気に冷めちゃうじゃないですか。だからやはり美術とかきちんとした考証とか画面の広がりとか、そういうのが重要になってくる。

あとリアリティという観点から言うと、舞台の演技って必然的に声を張り上げるオーバーアクトになりがちなんだけど、それを映画でやったら「なにこの人こわい」ってなっちゃう。だから演技プランに関しても、舞台は舞台の、映画は映画の演技というのがあるんだってことを、作り手はちゃんと認識しなければならない。

 
かように舞台と映画とは質の違う媒体であるわけで、だとしたら舞台をそのまま映画でやったところで絶対に失敗してしまう。映画として成功させるには、面白さを「変換」させる過程がどうしても必要になるわけです。ただ、それがうまくできている作品というのは、残念ながらそう多くはない。

 

 

 


では今回、「刀剣乱舞」の映画版はどうかといいますと。


この映画版、ひとつ映画化にあたって非常に有利な条件として、そもそも原作(ゲーム)のリアリティライン自体がめちゃくちゃ低いというのが挙げられます。


要はこれ、刀がイケメンになって戦いまーすっていう超・荒唐無稽なお話なわけで、そこに「いや刀が人間の姿をしているのはおかしい」とか野暮なツッコミ入れるやつは即刻お帰りくださいってことじゃないですか。ファンタジーにリアリティがないとか文句つけたって仕方ないわけですから。つまり、一般的な意味でのリアリティの低さはあらかじめ分かったうえで観客は来ているんだから、「作品内リアリティ」の基準だけしっかり把握して、それさえ守っておけばそうみっともないことにはならない。ここに勝機がある。

f:id:nora912:20190205200646j:plain※引用元 https://eiga.com/movie/88808/

あと、もうひとつ重要な要素として、最初に言ったように、そもそも原作ゲーム自体、別段、筋の通ったストーリーらしいストーリーは存在しないんですよ。基本的にはひたすらキャラ集めてレベル上げていくだけのクソゲー作業ゲーだし。アニメも2つ作られましたが、キャラクターだけ先に存在して、お話とかは基本、全部後付け。舞台版も同様。

要はこの原作、「正史」が存在しない。だからゲームはゲーム、アニメはアニメ、舞台は舞台。そして映画は映画。つまり、メディアミックスした媒体それぞれの独立性がきわめて高い。原作はあくまで「種」でしかなく、そこからどんな作物を収穫するかは各々次第。原作はあくまで基本的な設定を提供するだけで、すべてのメディアミックスを完全な二次創作と捉えることすら可能という、ちょっと不思議な作品体系なわけです。

 


そう考えると本作を「ゲームの映画化」あるいは「舞台の映画化」という文脈で考えるのは、実は誤りなんじゃないかと思う。では「映画は映画」という単体で考えればいいのかというと、それもちょっと乱暴。じゃあどう捉えるのが正解かってのは後ほど述べるとして、そうした背景を踏まえると、『映画 刀剣乱舞』を語る上で参考になりそうな先行事例は、堤幸彦監督版『真田十勇士』(2016)でしょう。

真田十勇士

真田十勇士

 


この映画、元ネタはもちろん「真田十勇士」伝承なんだけど、実はこれ、舞台の映画化でもある。つまり「設定だけが最初にあって、それをアレンジした舞台版が次にあって、それを元に作られた映画版」という過程が今回の刀剣乱舞に近い。

詳しくは以下でレビューしました。

この舞台、真面目な時代劇というよりはコメディ色の強いアクションドラマという感じで、映画版もそれを踏襲した作り。なのでキャラクターが平気で現代っぽい言葉遣いしたりするし、コスプレみたいなくノ一大島優子!)は出てくるし、松坂桃李は空を飛ぶし、あげく冒頭10分はアニメだったりと、もう完全に開き直った作品になってます。で、今回の『映画 刀剣乱舞』は、題材的にも時代劇というよりかは、時代劇寄りのファンタジーアクションといったほうが正しいので、そういう意味でも『真田十勇士』は近いものがある。

 

ただ、『真田十勇士』はコメディに振り切っていたのに対して、こちらは「歴史とは何か」なんて重いテーマを持ち出してくる、結構真面目なお話。笑わせにくるシーンとかは少ない。

「え、リアリティラインが低いのにシリアス寄りって、それ大丈夫なの?」結論から言うと、全然大丈夫でした。なぜ大丈夫だったのか、それにはちゃんと理由があるのです。これも後ほど言います。

 

 


さて長々と前提を積み上げてきたところでそろそろ具体的な作品の話に移りたいんですが、まず最初の褒めポイントとして、これは多くの人が挙げてましたが、脚本が素晴らしいと思います。

f:id:nora912:20190205200754j:plain※引用元 https://eiga.com/movie/88808/

何が良いって、なにしろ冒頭ですよ。本能寺の討ち入りのシーン。小気味良いアクションを交えながら、この物語の世界観、刀剣男士という存在の役割、そして彼らそれぞれの性格、さらには後に繋がる伏線までをも、過度に説明的になることもなく、かといって説明不足ということもなく、見事なバランスで途切れること無くスムーズに語っていく。もちろん編集とか演出、演者の力もあるんだろうけれど、この時点で観る前に抱いていた不安は吹っ飛んで、「あれ、この映画…なんかいい感じだぞ!?」と思わせるには十分。


その後の展開についても、邦画にありがちな「キャラクターが説明を始めるとお話の進行が停止してしまう」シーンというのが(ちょっと危ういところは数箇所あったにしろ)あまりないし、各キャラクターの描き分けや、彼らそれぞれの抱える背景なんかも、ちゃんとセリフでなくキャラの仕草とか表情で説明しようとしてるのが分かるし、演出の妙とか情報の出し方を工夫することによって、説明シーンをなんとか最小限に抑えようという作り手の努力が伝わってきて、素直に好感を持ちました。いや普通の映画ならまだしも、「刀剣男士」という、知らない人が聞いたら(゚Д゚)ハァ?な設定、世界観を一見さんの観客にもちゃんと飲み込ませるのって、結構難儀ですよ。それでこの出来なら合格点といえるんじゃないかな。脚本の小林靖子さん、良い仕事したと思います。

 


あと、作品を通して語られる「歴史とは何か」という問い。これに関しては正直、この2時間を通して語るには重すぎるテーマかなとも感じたんですが、それなりに納得感のある終わらせ方をしていて、これもまぁ深みはないにせよ、エンタメとしては合格点かなと思います。

蒲生邸事件 上 (文春文庫)

蒲生邸事件 上 (文春文庫)

 

ちなみに私事なんですが、この映画を観たときにちょうと宮部みゆきの『蒲生邸事件』を読んでましてね。これも「歴史を変えることは正しいのか」というテーマの作品なんですが、なんとなく不思議な巡り合わせを感じた次第(・ω・)歴史という、まるで意志を持ったかのような巨大な怪物に、人間という小さな存在はどこまで抗うことができるのか、そしてそれは正しいことなのかという問いかけ。このテーマについては、もし続編を作るのであればぜひ深化させていってもらいたいところ。

  



それと、ここは本当に褒めなきゃいけないと思ったポイントとしては、「画」ですね。
要は、絵的にダサいシーンが(一箇所を除いて)ほぼ皆無なんですよこの映画。

f:id:nora912:20190205200827j:plain※引用元 https://eiga.com/movie/88808/

なんていうんでしょうか、ケレン味があるつーか、良い意味で超・大味。アクションは格好良く、役者は美しく見えるようにきちんと撮ってる。邦画のアクションで「見た目がカッコいい」って、それだけでも高く評価したいです。実はよくよく見るとCGがちゃちい出来だったり(本丸が襲撃されるところとかちょっとひどかった)、戦闘シーンで出てくるモブの数が少なかったり、ああ予算無かったんだな…(´・ω・`)みたいな事情が見え隠れする部分もなくはないんだけど、そういう貧乏臭さは少なくとも観てる間はあんまり感じることはなくて、ちゃんとスケールの大きな話に見える。もちろん先述のとおり、もともとリアリティラインが低い話だから「こまけぇことはいいんだよ」という前提が観客の中にあって、それゆえ気にならないという事情もあるんだけど、でもえらいよ!がんばったよ!

 


ちなみに役者陣について書いておくと、三日月役の鈴木拡樹は普通に横顔キレイ…と思いつつ眺めてたんですが、ちょっと予想以上だったのは日本号役の岩永洋昭さん。このひとマジ素晴らしいですね。もうなんか桁違いにスクリーン映えしてる。つーか日本号。どう見ても日本号この日本号兄ィと緒にお酒飲みたい次郎太刀レイヤーとは私のことだ。わはははは。
薬研・不動の短刀ズをアラサー男性が演じるのはちょっと心配だったんだけど、ちゃんと「大人びた少年」に見えたんでおじさん安心しました(´∀`*)あと個人的に、終始仏頂面の長谷部は出てくるたびに笑いました。健康診断で血圧引っかかりそう。

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※引用元 https://eiga.com/movie/88808/ この2人はかわいい↑

 

 


てなわけで、絵的にも話の骨格も基本的に満足度は高かったんですが、もちろんいくつか不満点もありまして。

まず全体を通して残念だったのは、音楽ですね。とにかく印象に残らない。
先述の『真田十勇士』は、イタリア人作曲家の作った「真田十勇士のテーマ」みたいな曲がありまして、これがポップでありながら確かに時代劇っぽさもあって、結構格好良いんですよ。オープニングでアニメから実写に切り替わる瞬間にそれが勢いよく流れるもんだから、観てる方としては「うおーーーー!!」ってアガるわけ。『刀剣乱舞』には、そういうアガる音楽がない。

映画『真田十勇士』オリジナル・サウンドトラック

映画『真田十勇士』オリジナル・サウンドトラック

 

 あ、ついでに指摘しておくと、オープニングのタイトルバックが意外と地味だったのはちょっとガッカリした。ここはやっぱりバーンとスタイリッシュに決めて欲しかった。まあ全体が真面目なトーンだからオープニングも抑えた感じで…みたいな意図もあったのかもだし、あとCGたくさん使うには予算が足りなかったのかもしれないけれど、だからこそオープニングくらいはカネかけて盛大にハジけて欲しかったなあというのが正直なところ。観客はアガりに来てるわけだからね。

 


あと、演出面でいうと、ここまで基本的には褒めモードで来たし、確かに全体として気を配ってるのはとても分かるんだけど、それでもときどきヌルい演出がひょっこり顔を覗かせる場面があって、これ、作品に集中してればしてるほどすっげえ興醒めするんで本当にやめてほしい。


一番ひでえなと思ったのはあれですね。観た人なら一発で分かると思いますが、(声をあわせて)安土城!」のシーンですね。
さっき、絵的にダサいシーンが「一箇所を除いて」ほぼ皆無って言ったけど、その「一箇所」とはここだー!!そしてこのシーンめっちゃダサい!!!やめてーーーー!!!!

いや分かりますよ、やりたいことは。一応(かなり早い段階から観客はその事実を知らされていたとはいえ)伏線が回収されるシーンなわけだから、印象的にしたいってのは分かる。でもこれ、スプリット・スクリーン(画面分割)の一番まずい使い方ですよ。アニメなら違和感ないけど実写にすると急にダサくなっちゃうからダメ。シリアスなシーンなのにちょっと吹き出しちゃったよ!そういえば同じ東宝の『容疑者Xの献身』でもまったく似たようなスプリット・スクリーンのダサい使い方してたな。この邦画の悪習、誰か断ち切って!

(ただ、ひとつ擁護しておくと、ここでこういうマンガ的な演出を採用したのは、後述の作品的文脈から振り返ると「ああなるほど…」と一応納得できる話ではあります。でもやっぱりここは比較的リアル寄り、シリアス寄りのシーンなんだから、もっと重厚な演出を採用するべきだったと思う)

容疑者Xの献身

容疑者Xの献身

 

 あとヌルい演出というと、これも別にこの映画だけの責任じゃないんだけど、人が撃たれたりして倒れる時に髪を振り乱しながらスローモーション(そして周りでは何か舞ってる)みたいなクラシカル(婉曲表現)演出…いい加減やめませんかね。もう平成終わるよ?

あれですかね、日本の映画監督の皆さんは、髪を振り乱してスローモーションを入れなければ家族の命はないと人質を取られて脅されているんでしょうか。だったら仕方ないけど、そうじゃなかったらもうやめようよ、こういうのはさぁ…。何度観たんだって話じゃん。倒れるにしても、スローモーション使うにしても、もうちょっと撮り方いろいろあるじゃん…他はちゃんとカッコいいんだから。ここだけ浮いちゃうよ、これじゃあ。(なお、先ほどの「安土城!」と同じく、残念ながら俺は笑いました

 

 

 


てなわけで、良いところ悪いところいろいろ個別に述べてきましたが、そろそろ総括に入りたいと思います。
メディアミックスとは何か、みたいな話をしているときに、本作を「ゲームの映画化」とか「舞台の映画化」という文脈で考えるのは、実は誤りなんじゃないかと述べました。また、「リアリティラインが低いのにシリアス寄り、でも作品的には全然オッケーだった」とも。

 


さて、そろそろ答えを出しましょう。
『映画 刀剣乱舞』はどんな文脈で捉えるべき作品なのか。
リアリティラインが低いにも関わらずハードでシリアスな内容、それが作品的にプラスに作用するジャンルとはなにか。

 

 

 


それは、
「特撮」です。

 

 

 

 


そう、


『映画 刀剣乱舞』は「特撮映画」なのです。

 

 


そう考えれば、すべてに合点がいきます。
特撮作品に、いわゆる「世間的な意味で言うところの」リアリティはありません。役者のセリフは不自然だし、CGは嘘くさいし、服装や小道具などのガジェットにしても、少なくとも実在感はない。にもかかわらず、特撮作品の中で繰り広げられる物語に興奮し、シリアスな展開におののき、時にキャラクターに感情移入し、涙してしまうのはなぜか。それは、特撮には特撮の「作品内リアリティ」があり、それをきちんと作品内で遵守する限りにおいては、観客は「そういう世界」という了解のもとで、「そういう世界の物語」として没入することができるからです。そう、まるで舞台の上で役者が「ここは海だ!」と叫べば一瞬にしてそこが海となるように。

 

本作『映画 刀剣乱舞』はまさしくそうした撮り方をされ、そうした文脈で楽しむべき映画です。本作が成功した最大の要因は、優れた特撮作品がそうであるように、「作品内リアリティ」のラインをしっかりと作り手が把握し、それを崩さぬよう最新の注意を払いながら脚本・演出を磨き上げていった点、これに尽きるでしょう。そういえば脚本の小林靖子さんは特撮畑で活躍されてる方ですしね。

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※引用元 https://eiga.com/movie/88808/

また、特撮作品には、まだあどけなさの残る若手役者たちの「いま、この瞬間の輝き」を捉えるというアイドル映画的な魅力もあります(アイドル映画ってバカにしてるように聞こえるかもしれないけど、僕は全然そのつもりないですよ。アイドル映画に名作いっぱいあるし。むしろアイドル映画を馬鹿にするやつはぶん殴っていきたい所存)。

そういった意味でも、本作はきちんと押さえどころを押さえている。自分たちの作る映画のニーズがどこにあるか、作るに当たってどこを「魅せる」かをきちんと把握し、それをちゃんと形にできている。ジャンル映画として誠実に、真面目に作られた作品といえます。

 


すなわち、『映画 刀剣乱舞』は「ゲームの映画化」でも「舞台の映画化」でも、はたまた「時代劇」でもなく、あくまで「特撮映画」の文脈で捉えるべき映画であり、そしてその限りにおいては観客を十分に満足させてくれる、優れた作品であるというのが僕の結論です。

 



あくまで「ジャンル映画として」というカッコ付きではありますが、その上で本作は、間違いなく「劇場に観に行く価値のある映画」です。観に行こうか迷ってる人は、とりあえず観に行けばいいと思います。そう言い切れる程度には、僕はこの映画、オススメです。

 

 

 

次作は次郎太刀出してくんねえかな〜〜〜〜〜〜🍶

 



(2019/1/23鑑賞)