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【書評】日本社会に潜むグロテスクな「何か」ー山本七平『空気の研究』

 

「空気」の研究 (文春文庫 (306‐3))

「空気」の研究 (文春文庫 (306‐3))

 

 

 ひと頃「KY」なる言葉が最大瞬間風速的に流行ったが、あれは一体何だったのだろう。

 

 振り返ってみれば、あれが流行語となる前も後も、「空気読めよ」という語句は歴然と存在し、今にいたるまで言葉として生き続けている。どうも「空気」という概念、こんな流行語、時代の徒花で終わるほど底が浅いものではなさそうだ。

 

 山本七平がこの本を著したのは昭和52年。実に30年以上前から、「空気」の存在は概念化され、認識されてきたのだ。山本は豊富な事例をもとに、見識もあり論理的なはずの人々が、「空気」にのまれ最終的に不合理な意思決定に至ってしまう過程を丹念に追う。

 

 「空気」は誰も責任を追うことができないという厄介さを持つ。

 結果が失敗に終わったとしても、それは「あの空気では仕方なかった」のであり、誰も責任を取ることはしない、あるいはできない。ゆえに「空気」は、あまりに強い権力、圧力として君臨し続けた。時には「村八分」時には「いじめ」など、時代にあわせて形を変えながら、「空気」は日本を支配し続けてきたのだ。

 

 ふわふわした掴みどころのない「空気」を、山本可視化し、そのメカニズムを解明しようとする。爆弾を解体するかのような慎重かつ緻密な考察は、今なお読む者に新鮮な驚きを与える。

 

 特に、アニミズムの国である日本が空気に飲まれやすく、唯一神のみを絶対化する一神教の世界は逆に飲まれにくい、という比較分析は意外性があって興味深い。神以外のすべてを相対化する一神教世界と、絶対化の対象が大量にあってコロコロ移り変わっていく日本、居心地が良いのはどちらだろう。

 

 多くの本で引用されているだけのことはある鋭い論考。簡単に読める本ではないが、時代を越えて読み継がれるべき日本人論の名著といえよう。