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【書評】不完全な物語を味わい尽くす愉しみ-木原浩勝・中山市朗『新耳袋』シリーズ

 

 百物語をすると、たいてい百話目に到達する前に断念するという。何らかの理由で欠席者が出たり、途中で不可思議な現象に遭遇したり、参加者の誰かが身体の不調を訴えたり…しかし、こうして百物語を中止することになった人々は幸福なのかもしれない。百話目を終えたとき、世にも恐ろしいことが起きるというのがこの儀式のセオリーなのだから。

 

新耳袋―現代百物語〈第1夜〉 (角川文庫)

新耳袋―現代百物語〈第1夜〉 (角川文庫)

 

 

 そんなわけで、現代版百物語ともいえる本シリーズ、お話は99個までしか収録されていない(単行本では収録されていたが、読み終えた読者から実際に怪異を体験したという手紙が殺到し、圧縮して文庫化したという。本当かどうかは知らん)。

 正統的な怪談集だが、形式は短編というよりはショートショートに近く、枚数にして2~4ページ程度の掌編が小さな文庫本の中に詰め込まれている。

 


 本書を執筆するにあたって著者たちは、体験者から伝えられた事実をなるべくそのまま収録することにこだわったという。ゆえに本書は淡々としたレポート形式をとり、恐怖を煽るようなホラー的仕掛けや都合の良いオチは出てこない。物語は前触れもなく突発的に始まり、そして怪異を残して唐突に収束する。

 


 ストーリーの巧さ、面白さを要求する類いの「怖さ」を欲する人には、本書は向かない。どの話にも、ヤマもなければオチもない。
 しかし、それゆえに本書は奇妙な迫力を持って眼前に迫る。創作の世界によくある、ヤマもありオチもあり整合性に彩られた「恐怖」が、いかに遊園地のアトラクションのごとき安心感に包まれていることか。説明がつかない、つけようがない怪異は、何の脈絡もなく突然我々の日常に侵食していく-そこには「伏線」も「道理」も「説得力」もない。

 


 たかだか数ページの「ちょっと変な話」の集合体。パラパラ捲ってみても、別段恐怖に震え上がるような予兆は感じない。しかし読み始めると、もう一話、またもう一話と、ページを捲る手が止まらない自分がいることに気付く。

 


 ふと見ると、もう残りページ数はわずか。果たして本書を読み終えたとき、何が起こるのかー…それは、あなた自身が身をもって体験して欲しい。


 僕は、止めない。


mixiレビューより改訂・再録)