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心に何かが突き刺さるー真木武志『ヴィーナスの命題』

 

 部屋の書架の大規模なリストラを行った。「残す本」と「捨てる本」を決めるわけだが、結果として本棚に残った作品を見てみると、意外な事実に気付く。そこに並んでいるのは、必ずしも自分が高評価を与えた本ばかりではないのだ。

 作品として「面白い」ということと、「手元に置いておきたい」という気持ちはまた別であることに、最近ようやく合点がいった。後者において重要なのは、その作品の出来が良い悪いに関わらず、もたらされるカタルシスに持続性がある、すなわち自分のなかで咀嚼できる物語である、ということ。そして本書はまさに「面白い」と断言できなくとも「手元に置いておきたい」作品といえるだろう。

 

ヴィーナスの命題 (角川文庫)

ヴィーナスの命題 (角川文庫)

 

 

 『ヴィーナスの命題』は15年前、横溝正史ミステリ大賞に最終選考まで残りながらも、激論のすえ落選した作品の文庫化である。残念ながら当時は商業的にはまったく成功せずに消え、作者もこの一作をもって作家業を引退してしまった。夏休み、教室から転落した生徒の死の真相を巡る青春群像…という、ごく平凡な青春ミステリのテンプレートをなぞったかのようなストーリー紹介を見ただけでは、なぜ本書がそこまで問題とされたのか分からない。

 

 しかしひとたび読み始めると、この本が青春ミステリの皮を被ったとんでもない物語であることにすぐに気付く。一人称と三人称が入り交じり、次々と視点や時系列が変わる、きわめて「不親切」な構成に、読んでいて気恥ずかしくなるような登場人物たちの自意識、世界観(「中二病」と揶揄しても間違いではあるまい)。まがりなりにも「推理」らしきものが始まるのはようやく半分までページが進んだ頃で、何がなんだか分からないまま物語は唐突な収束を迎える。綾辻行人が言うように、「最後まで読み通しても事件の真相がよく分からない」という読者が、おそらく大半ではないのか。

 

 はっきり言って、本書はミステリとしては失敗作である。本筋以外の部分に力を注ぎ込みすぎて(終盤近くで明かされる、あるどんでん返しにしても、それ自体は許容範囲としても、それによって導き出される「真実」に、いかほどの意味がある?)、肝心の「解決」そのものが完全に読者を置いてけぼりなのは頂けない。
 そして何より、すべての登場人物の行動原理にまったく納得がいかない。彼らは青春期特有の自意識というか、今となっては恥ずかしくて封印したはずの、そうした感傷や焦燥、切迫感といった感情を具現化したキャラクターであって、決してリアルな「17歳」ではない。

 

 ミステリにおいて、登場人物の感情や人間としての行動原理のようなものに深く言及したという意味において、本書は米澤穂信の「古典部」シリーズなどの先駆けと捉えることもできる。しかし「古典部」においては推理パートのロジックと深く結びつき、美しく完成されていた「人間」という題材が、本書では上手く融け合っていないように思う。ゆえに、結果としてミステリとしても青春小説としても中途半端となり、ただ「読みにくい小説」としてのみ本書は記憶されることになる。本書が商業的に失敗したのも頷ける。

氷菓<「古典部」シリーズ> (角川文庫)

氷菓<「古典部」シリーズ> (角川文庫)

 

 

 ただし、ここまで叩いておきながら、本書は「手元に置いておきたい」と思う。それは最初に言ったように、僕の中に本書を咀嚼し、完全に消化したいという欲求の存在を認めるからだ。そしてそうした欲求が発生したということは、やはり本書は、どこかで自分とシンクロし、琴線に触れる部分を持ちあわせていたということなのだろう。 

 本書の中には何度か「保留」というキーワードが出てくるが、この作品の評価は今まさに「保留」中である。いつか再び、またこの難解な物語に挑戦する日がそう遠くない未来であることを予感しつつ、『ヴィーナスの命題』は、僕の部屋の本棚にひっそりと、しかし不気味に収まっている。