ノラブログ。               

 
 
 
 
 

人にやさしく

 

 やよい軒で生姜焼き食おうと思ったら改装中だったよ。仕方なく向かいのすき家行ったらメニューの半分くらいに「お取り扱いできません」のシールが貼られていたよ。焼き鳥丼すら取扱不能になってんですがどういうことでしょうか。ワンオペが廃止されたとはいえ相変わらず店員は忙しそうで、席を立った客たちのトレーや皿は片付けられずに放置されたままである。いたたまれないので手間のかからなそうな牛丼選んで食って帰った。なんで客の俺が向こうの事情を慮らねばならんのだ。

 

 話は変わるが、マイクラ実況してた愛媛のおっさんが配信中にジッポライターいじって発火させ、部屋が炎に包まれるまでの一部始終が記録されてyoutubeなどにアップされている。

 

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 こち亀のBGMを入れたMADが作られたり海外のメディアで笑いものにされたりと、もはや完全なおもちゃである。死者出なかったから扱いが軽いんだろうなぁ。でも俺この人笑えないよ。部屋でいきなり炎があがったらパニックになるって。水で濡らした布で包むとかそんな冷静な判断できないって。おっさんと同じように洗面器リレーしたりダンボールやらを叩きつけてかえって炎の勢い強くしちゃうのが関の山だって。視聴者(ゆっくりボイス)が的確に対処法を教示していたのに、途中でおっさんが音声ブチッて切っちゃったのはさすがに吹いたけど。とりあえず観終えて自宅マンションの消火器の位置は確認しときました。火こわい。

 

 なんつーかね、どいつもこいつも共感性が低いと思うんですよ。
 ヤフコメを見てみる。犯罪者は死刑にしろと息巻く威勢のよいコメントが並ぶ。自分が犯罪者になるかもって考えとか頭をよぎらないのかなこの人ら。愛人殺した警官にしろ轢き逃げ犯にしろリンチで仲間殺しちゃったガキにしろ、直前までは彼ら、まさか自分が「あっち側」に行くとは考えもしなかったと思うよ。だからって擁護しようとは別に思わんけどさ。俺ら自身が「あっち側」に転落するのなんて、ほんのちょっとしたきっかけ、一時の激高とか度重なる不運とかたまたま頃合いが悪かったとか思考が明後日の方向に動いていたとか、その程度のもんだと思うんですけどね。なんでどいつもこいつも自分にそこまでの信頼を置いているのかが皆目分からん。すべてを失って守るべきものが何も無くなったら、誰だってアキバで刃物振り回すかもよ。幸せそうな一家を皆殺しにするかもよ。そういう危うい氷の上を俺たちは歩いているわけだけれど、どうも自分だけは硬い地面の上に立っていると信じ込んでいる輩が多すぎませんかね。

 

 そういや一時期、「人を殺しちゃった時の対処法マニュアル」を作ろうと考えていたことがある。
 たとえば俺が何かのきっかけで人を殺めてしまった場合、それが故意なのか偶然なのか、現場の状況、死体の状態、自分のアリバイなどあらゆる情報をフローチャートで整理し、もっともベストな選択肢をチョイスできるマニュアルである。ごまかせないなら素直に自首するし、ある程度言い訳がきくなら傷害致死とか狙うし、かなり作為を施せると判断すれば死体を始末するなり、事故や自殺・通り魔の仕業に見せかけるなりして完全犯罪を目論む。そういうものを作って持ち歩こうとマジで考えていた。実は完成して今でも持ち歩いてます。ウソです。まぁ当時は推理小説爆読みしてたからこんな発想出てきたんだろうな。俺に近しい人はうっかり俺に殺されないように注意してね。完全犯罪を目論んでバーローあたりと対決する可能性もあるので。あ…いや冗談ですからねマジに。

 

 さっきは共感性という言葉を使ったけれど、実際のところ、そんな仰々しい単語を用いるような大層な話でもない。要は想像力無いよねおまいらってこと。他人の事情を少しは想像しなさいよ、そして自分についても想像しろよ。そういう話。そうすりゃ多少なりとも他人に寛容になれるじゃん?そう寛容。寛容であることが大事やね。寛容の精神。人にやさしく。たとえば牛丼屋の店員に気を使うとかね。そう思わないか?