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押し寄せる恐怖!笑い!そして感動!―『ヴィジット』

 

『ヴィジット』(2015・米)

 

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 シングルマザーに育てられている15歳の姉ベッカと13歳の弟タイラー。休暇を利用して祖父母の待つ母の実家へとやってきた姉妹は、優しい祖父と料理上手な祖母に迎えられ、田舎町での穏やかな1週間を過ごすことに。祖父母からは、完璧な時間を過ごすために「楽しい時間を過ごすこと」「好きなものは遠慮なく食べること」「夜9時半以降は部屋から絶対に出ないこと」という3つの約束を守るように言い渡される。しかし1日目の夜、いたずら心から部屋のドアを開けた姉弟は祖母の奇怪な行動を目にする。何かを隠している様子の祖父母の行動はしだいに狂気を帯びていき…。

 

 



 

 

 

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ひとこと:ババァ自重しろ

 

 

 

 

 

 

 よっしゃあ!シャマランだ!

 シャマランが帰ってきたぞー!

 

 と、開幕からハッスルしてしまいましたサーセン

 何しろ本作、映画監督M・ナイト・シャマランの久々の原点回帰作と話題になっておりまして、シャマラニスト(シャマラン作品を愛する馬鹿)を自称するわたくしとしても公開前から今か今かとソワソワしていたのです。

 

 

 本題に入る前に、ざっとシャマランについて解説しときましょう。

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 映画監督M・ナイト・シャマラン

 『シックス・センス』で一躍名を挙げて、それ以降も『サイン』『ヴィレッジ』あたりは日本でもそこそこヒットしたはずなんですが、基本、世間的な評価は下降一辺倒で、ともすれば一発屋みたいに思われがちなお方です。その一方、熱狂的な信奉者(シャマラニスト)を抱え、日本においてもライムスター宇多丸阿部和重吉本ばななといった著名人にも多くの固定ファンを持ち、高く評価する声も根強いという、良くも悪くも注目を集め続ける人です。

 

 シャマランの一貫した作風については、宇多丸師匠が前作『アフター・アース』を評するにあたって非常に分かりやすく解説してくれているので、時間のある方はご聴取ください。

 


宇多丸が映画『アフター・アース』を語る - YouTube

 

 

 ここで解説される「シャマラン作品の特徴」を手っ取り早くまとめると、以下のとおり。

 

 ・「話を語る」ことに対して非常に意識的である

 ・ストーリーテリングの遠近法が狂っている

 ・テーマは毎回かならず共通している。すなわち、

 「主人公が世界の本当の姿を知り、その中で自分が果たすべき役割に目覚める」。

 

 

 宇多丸師匠がラジオの中で指摘しているとおり、この監督の凄いところは、「『物語を伝える』ことが自分の使命である」と、ネタじゃなくてマジで信じ込んでいる点です。

 そんなわけで彼の映画は、「物を語る」という行為にたいする自己言及的な視点(≒メタ視点)が多かれ少なかれ挿入されるし、どの作品でもテーマが一貫しているため、同じ話を毎回別のアプローチから語り直しているともいえる。その強い自己意識ゆえに、出来上がった作品はみんなどこか「狂って」いる。常識からズレまくった彼の語る「物語」は、時に怖く、時に可笑しく、兎にも角にも我々凡人の遥か斜め上を行ってしまうのです。

 

 

 とりあえずここで、僕の中でのシャマラン評価を開示したいと思います。

 

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 まず『ハプニング』(08)はもう別格扱いで死ぬほど好きです。偏執的なファンも多い『サイン』(02)とアンブレイカブル(00)がそれに続き、一般に評価の高いシックス・センス(99)、シャマランの評価を決定的に二分する一因となった問題作レディ・イン・ザ・ウォーター(06)も「そこそこ好き」カテゴリにランクイン。そこからちょっと評価が下がって『ヴィレッジ』(04)、さらに下がってアフター・アース(13)、そこから遥かに下がって、個人的にダントツでワースト作品のエアベンダー(10)というところですね。

 

ハプニング(別格)>サイン>アンブレイカブルシックス・センスレディ・イン・ザ・ウォーター>>>ヴィレッジ>>>>(壁)>>>>アフター・アース>>>>(超えられない壁)>>>>エアベンダー

 

 で、そんな変な映画ばかり作るシャマランですが、ここ数年は明らかに彼の資質には合っていない大作映画の雇われ仕事ばかりやってまして、しかもその2作(『エアベンダー』『アフター・アース』)が批評的にも興行的にも散々な出来だったので、シャマラニストとしてはだいぶヤキモキさせられていたんですよね(『アフター・アース』は結構いいところもある映画ですが、『エアベンダー』はマジでゴミだったので)。

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 そこにきて、この超低予算の原点回帰スリラー映画『ヴィジット』が満を持してのご登場。

 アメリカでは制作費を公開初日の興収で回収し、Rotten Tomatosをはじめ批評的にも久々の好評ムード。「とうとう俺たちのシャマランが帰ってくるんだ!」と興奮していた理由、お分かりいただけましたか?

 

 

 しかし、興奮しつつもそこはシャマランなのである種の耐性はついてまして、「どうせくだらないんだろうなー」と、『サイン』のケツバット『ハプニング』の造花との会話みたいな面白シーンを期待して出掛けたんですが…いやぁ、これがガチで怖い、思いっ切り正統派のホラー映画だったのでびっくりしました。

 

 なんていうんですかね、狭い家が舞台、しかもPOV(手持ちカメラ)方式ってのもあってか、とにかく全編に渡って息が詰まるというか、一瞬後には何が起きてるか分からない不安、緊張感が半端じゃなくて。今年公開の映画の中じゃダントツの「油断できなさ」ですね。

 『シックス・センス』における幽霊の描写、『ハプニング』における「迫ってくる見えない何か」の描き方などでも顕著ですが、やっぱりシャマランは「人はなぜ恐怖を感じるのか」という命題にたいして凄く精緻な研究ができている人だと思うんですよね。映像、音、画角、役者の演技、どれをとっても「恐怖」って事象にたいして真摯に向き合ってるのが画面からビンビン伝わってきます。そんじょそこらの甘っちょろい低予算ホラーの作り手なんか鎧袖一触、もう知識やテクからして別格。「怖さ」への気合いからして違います。

 

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 前評判だと「怖いけど笑える」みたいな宣伝してますが、むしろ「怖すぎて笑うしかない」と言ったほうが正しいですね。いやね、やっぱり今回もシャマランらしいギャグは健在で、たとえば唐突なババァの半ケツ(マジで嬉しくない)とか最終日に9時半を迎えたときのババァの珍妙なポーズとかその後の弟くんへのすごく嫌な仕打ちとか爆笑ポイントはたくさんあるんですが、そのどれもが笑っていいのやら怖がっていいのやら、もう「恐怖」と「笑い」の境界線が自分の中でぐちゃぐちゃになっちゃいまして、それがまた気持ち悪くて最高。ジジィもなかなか強烈でしたが、やはりババァの大活躍が本作のキモでしたねー。いやホントババァ自重しろ。

 でも「恐怖と笑いは紙一重」ってのは元々ホラーの鉄則でもあるわけで。そういう意味ではこの映画、古典的な「ホラー映画」というカテゴライズで見ても秀作と言って良いんじゃないでしょうか。

 

 

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 多方面で指摘されていますが、本当に上手いなーと思ったのは、「老人」という存在の抱える、ある種の気持ち悪さ・理解しづらさみたいなものを利用して、「恐怖」と「平常」の境目を曖昧にしたことですね。

 祖父母は明らかに行動がおかしいんだけど、本人たちが弁解するように、単にボケてるだけなのかもしれない。「老人だから」仕方ないのかもしれない。怖がるのは失礼なのかもしれない。でもだんだん、そういうレベルの話じゃなくなっていく。そして気づいたときにはもう引き返せないところまで来てしまう。知らず知らずのうちに観客を「恐怖」のど真ん中に誘導してしまうテクがずば抜けている。まさしく職人芸、お見事でした。

 

 そこにきて中盤の「あの」どんでん返しですよ。

 この逆転自体はそう目新しいものじゃなく、むしろ仕掛けとしては古典的ですが、この映画の何が凄いって、「どんでん返し」それ自体に面白さを担わせるんじゃなくて、これをきっかけに物語が加速度的に面白くなっていく―「どんでん返し」はあくまで物語をスピードアップさせる装置にすぎないという点ですね。

 

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 ママからあの言葉が発せられた瞬間からもう一気に、何も信じられないというか、気がついたら足元には何も無かったというか、そういう薄気味悪さがグワングワンとモーター音をあげて加速していき、それに比例して展開もどんどんスピードアップ、最後は矢継ぎ早に畳み掛けてジ・エンド。じわじわと緻密に伏線を張り巡らせたうえでドバーンと一気にタメを放出する。やっぱシャマラン、生粋のストーリーテラーやなぁと感心しきりです。

 

 そして、そんな「恐怖」のジェットコースターの最後にまさかの「感動」が用意されていたのには、これまたびっくりしました。

 

 あの姉弟がこの映画の最初と最後でどう変化したのかに注目してみると、本作、これまた正統派のジュブナイルの形式を踏襲してもいる。すなわち、「子供の成長物語」として捉えても充分満足できる作りになっています。

 考えてみたらシャマランの作品って全部子供が出てくるし、彼ら彼女らは物語を通して必ず「何か」を見つけ出すんですよね。クライマックスでかかる(一見)場違いな音楽、その後に流れるビデオ映像、そしてあのふざけていて、くだらなくて、でもなぜか温かい気持ちになるエンドロール「映画は台詞じゃなくて映像で物を語る」とはよく言いますが、本作のラストシーンはこれ以上ないほど見事な成功例じゃないでしょうか。

 

 

 冒頭で、宇多丸師匠の言葉を借りて、シャマラン作品は常にテーマが一貫していると言いました。

 

 「主人公が世界の本当の姿を知り、その中で自分が果たすべき役割に目覚める」

 

 

 姉弟を取り巻く「世界」の「本当の姿」とは何か。

 その中で、姉弟はどんな「役割」を見つけたのか。

 

 そういう点に注意しながら観てみると、また味わい深いかもしれませんね。

 

 

 シャマラン映画ってなんだか人に勧めづらいものが多いのですが、本作は割とストレートにオススメです。 

 

 みんな、劇場で「恐怖」と「笑い」と「感動」を味わえ!