新感覚ホラー映画『イット・フォローズ』が残した4つの「謎」についての、ふたつの解釈(ネタバレあり)
『イット・フォローズ』(2015・米)
女子大生のジェイはある晩、車の中で恋人のヒューと性行為をする。目を覚ました彼女は、ヒューによって車椅子に体を縛られ、廃墟に放置されていた。怯えるジェイに、ヒューは語り始める――自分は”それ”を、ジェイに”移した”のだと。
”それ”は人間の形をし、どこまでも追いかけてくる。”それ”に捕まった者は死ぬ。”それ”から逃れるのは、誰かとセックスをすることで”移す”しかないーその日から”それ”に追いかけられる、ジェイの悪夢のような日々が始まった。
65点
ひとこと:
全裸中年男性に注意せよ。
なにやら話題作であります。
タランティーノが絶賛したとか、超怖いらしいとか、RottenTomatosの満足度96%とか、4館のみ公開だったのが口コミで拡大して全米大ヒットに繋がったとか(タランティーノいわく「褒めたけどそこまで絶賛じゃねぇ」らしいですが)。
そんなこんなで観に行ったときは、公開初週ということもあってか映画館は満員でした。
さて、最初に結論ですが…
あんまりハードルを上げ過ぎないほうが良いです。
いや、決してつまらない映画じゃないんですよ。
後述しますけど、純粋にホラー映画としてすごく評価できるポイントも多いし。
(出典:映画ナタリー)
ただ「あー面白かった!」とか「結末にビックリ!」みたいな感想がこぼれる爽快スッキリ系じゃなくて、むしろその対極。とにかくたくさんの謎を残して終わるので、後味はかなり悪い(バッドエンドって意味ではない)し、観終えたあとに議論したくなるタイプの作品ってことは言っておきます。観てるあいだはきちんと怖いんで、その点では期待通りなんですけどね。
当然ネタバレ無しだとあたりさわりのない紹介しかできないので、ちゃきちゃきネタばらしして行こうかと思います。まだ観てねぇってやつはとっとと劇場行け。
以下ネタバレ(観たことを前提に進めます)
さて、この映画は数々の「謎」を残して終わります。
ぼくはそれを以下の4つにまとめました。
謎1:”それ”の正体は何か?なぜ”それ”につかまると死んでしまうのか?
”それ”がいったい何物なのかは、最後まで劇中で明言されることはありませんでした。
”それ”の正体は結局なんだったのでしょうか?
謎2:なぜ性行為をすれば”それ”を移すことができるのか?
セックスによって”それ”はヒューからジェイへ、ジェイからグレッグへと対象を移していきました。なぜ「移す」ための儀式が性行為なのでしょうか?
謎3:プールに現れた”それ”がジェイの父親の姿をしていたのはなぜか?
クライマックス、ポールの作戦に釣られてプールにやってきた”それ”は、ジェイの父親の姿をしていました。なぜでしょうか?
謎4:ジェイとポールは助かったのか?
ラストシーンはどちらとも解釈できる映像で終わります。
ジェイとポールの2人は”それ”から逃れることができたのでしょうか?
この4つの疑問に対する回答として、ぼくなりの解釈を2つほど挙げてみようかと思います。
① ”それ”=AIDS(エイズ)のメタファー説
(出典:映画ナタリー)
「性行為による伝播」という点から、おそらく、多くの人が連想したと思います。
周知のとおり、エイズの主要な感染源は性行為です。そして一度かかったら治らない。
また特徴として、潜伏期間が5-10年と非常に長いことが知られています。健康そのもののように過ごしてきた人が、ある日突然発病します。平和な日々の裏で、ウイルスはじわりじわりと身体を蝕んでいきます。まるで歩いてくるかのように、ゆっくりと。
ちなみに「誰かと性行為をすれば助かる」って言ってますけど、劇中ではそれってヒューが主張しているだけで立証はされてないんですよね。実際、グレッグに「移した」あとも(襲ってはこないにしろ)ジェイはグレッグの家に入っていく”それ”を目撃しているわけだし。
てなわけで、この説自体間違ってんじゃねーかな。性行為をすれば感染を拡大するだけで、助かるわけではない。ヒューも後半出てこないけど、死んでるかもね。まぁあんなアホ死んでても別に構いませんが(てゆーか普通に実家でダラダラしてんな!警察沙汰になってんだぞ!)
ところで、アフリカなどではいまだに「エイズは移せば治る」と信じている人が多く、それが感染を拡大させている要因のひとつと言われています。プールのシーンのあと、ジェイと結ばれたポールは運転しながら意味ありげに娼婦を眺めてましたけど…まさか、ね。
クライマックスのプールに出現した”それ”が父親の姿をしてたってのは-これが「血」(血縁)の物語だってことの暗示ともいえますね(ちょっと強引かな?)。プールが一面真っ赤に染まってクライマックスを迎えるのも、どうにも示唆的なものを感じます。
と、ここまでもっともらしく書いてきましたけど、
このエイズ説、監督自身が否定しているようです。
たしかにちょっと安易すぎるし、特定の病気をそうやって扱うのって倫理的にどうかなってのもありますわな。
そんなわけで、もうひとつひねり出してみた説がこちら。
② ”それ”=「死への恐怖」のメタファー説
”それ”の正体は「死への恐怖」であると考えてみたらどうでしょうか。
先ほどのエイズの話に戻りますけど、エイズがなんで怖いかって言ったら、それが死に直結するからですよね。同じ不治の病でも、たとえば花粉症をそこまで怖がる人なんていないわけで。
そこで考えてみました。
”それ”の正体は病気ではなく、それによって誘発される「死」への恐怖そのものではないかと。
例えば、ガンなどで余命を宣告された患者には、この世界はジェイのように見えるのではないでしょうか?これまで当たり前だった日常、当たり前だった周囲の「生」が、自分の「死」を再確認させる凶器として降り注いでくるのではないでしょうか?
”それ”は日常生活の中に突然現れ、自分以外の人には見えない。
”それ”はゆっくりとこちらへ向かってくる。追いつかれたら、死ぬ。
”それ”は、毎回違う形をして現れる。時には知り合いの姿をしていることもある。
”それ”を見てしまったら、もうこれまでの生活に戻ることはできない。
…どうでしょう?
ただ、この説をとると「性交渉」云々の部分が説明できません。
別にセックスしたところで病気が治るわけでもありませんし、メタファーとして見てもなんか変です。
ていうかそもそも、いずれの説もあくまで作り手の意図を推理しているだけであって、純粋に本編の展開を逐一解明できているわけじゃないですし、このへんの整合性がとれないのはある種当然ではあるんですけどね。
”それ”、普通に物理攻撃とかしてきますし(海岸でポールが一瞬でふっとばされてたのはワロタ)。
スタンドかッ!?と思いましたよ。
そういや、グレッグがジェイとエッチしてから”それ”に捕まるまでしばらく時間が空くんですけど、これ何でだろ?って思ってたら一緒に観に行った相方に「ふたりがエッチした場所が、別荘近くにある遠くの病院だったからでしょ」って言われて膝を打ちました。
つまり”それ”は「歩く」ことしかできない(速度が遅い)んで、グレッグの家まで来るのにしばらく時間が必要だったってことですね。なるほど~。お前スタンドだったら瞬間移動くらいしろよ!移動手段徒歩のみかよ!あ、じゃあ飛行機で海外逃げればオッケーじゃね!?(いつの間にか③”それ”=スタンド説が前提になってますがお気になさらず)
あ、ちなみに「疑問4」で挙げた、あのラストシーンですけど。
観客にはどちらとも受け取れるようになってますが、自分はハッピーエンドだと思います。
すなわち、ジェイとポールは”それ”を恐怖し避けるのではなく、”それ”とともに生きる決断をしたのだと。ゆえに2人は、ラストシーンに写り込んだ”それ”(らしきもの)を気にかけることはない(一度も後ろを振り返らない)のです。
とまぁ、解釈としてはこんなところで…いかがでしたでしょうか。
ざっとググったりしてみましたけど、「正解」は最初から無いみたいですね。
すなわち観客それぞれがいろいろ解釈してくれればそれでいいってタイプ。
冒頭で断ったように、すべてが「腑に落ちる」タイプの物語が好きな人には向かない映画だと思います。実際、われわれの後ろで観てた女性は「人生最悪の映画。こういうの大っ嫌い」ってつぶやいてましたし。
もっとも、そういう「人を選ぶ」ポイントを除けば、純粋にホラー映画として美点の多い作品でもあります。最後に、この映画の褒めポイントをちゃちゃっとまとめておきますね。
まず音楽の使い方、素晴らしいと思いました。
音で怖がらせるのってホラー映画の常套ですけど、本作で流れる音楽ってすごくヘンテコというか、昔のゲーム音楽を思わせる絶妙なチープ加減なんですけど、不思議なことにそれが本当に恐怖を掻き立てるんですよね。シーンごとのボリュームの調整も上手い。
西洋ホラーのおどろおどろしさとか、ジャパニーズホラーのジメっとした感じのどちらとも違う、これは宣伝通り、新しいタイプの「怖さ」だと思います。今後、フォロワーがいっぱい出てくるんじゃないかな。
(出典:cinefil)
あと特筆すべきはですね、画面が美しいんですよ、この映画。
世紀末都市デトロイト全面協力のもとロケしてるんで、映画の最初から最後までゴーストタウンと化した街並みが背景としてガンガン出てきます。とりあえず廃墟萌えクラスタにオススメ。
なんともいえない陰気さが漂う一方で、不思議に画面が「美しい」。特にラストシーンの「光」と「闇」のコントラスト、別に映像的に凝ってるわけじゃないのに頭からこびりついて離れないです。登場人物の佇まいも、いかにも衰退した地方都市のティーン(夢も希望もないんだけど、その深刻さや絶望感となぁなぁに付き合っている)って感じで非常にマッチしてましたな。
てなわけで、かなり荒削りではありますが、この映画についてのぼくの感想はこんなところで。
全裸中年男性シリーズの映像化としては非常にいい線いってると思います、はい。