ノラブログ。               

 
 
 
 
 

中野ブロードウェイに刻まれた戦争の記憶

  また地震がありましたな。

 俺はといえば初期微動の段階でハッと目が覚めて、そのまま本震に突入してゆっさゆっさ揺れていても、相変わらず寝っ転がったままぼんやりと天井を眺めてました。

 たぶん、いざ震度7とかアホみたいな揺れが来たとしてもやっぱりこんな感じでボーっとしていて逃げ遅れて死ぬんかなぁと思うと、朝からブルーな気持ちになる。

 

 

 『わたしの3.11』茂木健一郎編・毎日新聞社)に寄せられた小説家・渡辺浩弐先生の寄稿が面白い。

 彼が住んでいる中野ブロードウェイは50年ほど前、1962年に建てられたビルで、当然現在は内部ボロボロ、さらにドンブリ勘定な設計(そもそも最初から設計図がなかったらしい)も相まってわけのわからない構造になっており、さながら日本の九龍城のような異様さを漂わせている。

 

 ところがこの建物、震災当日はビクともしなかった。

 どころか、後日判明したところによれば、実は08年までに5年もかけて綿密な耐震調査がすでに行われており、関東大震災クラスの揺れでもまず大丈夫だろうという結果だったそうだ。

 

 

 その理由は、もちろん使われている鉄骨がそもそも太いことや、エネルギーを逃がす「遊び」のスペースが多いからといった技術的な部分もあるが、渡辺はこの建物の頑丈さに「思想」を感じるという。

 

 すなわちー戦争の記憶である。

 華やかな高度成長期のまっただ中に建てられたこの巨大ショッピングモールの中に、第二次大戦の残した爪痕、そして今後起こりうる核戦争への予感と恐怖は確かに刻み込まれていた。

 

 

 震災後の日本社会を見つめる渡辺浩弐の目はあくまでクールだ。平和な時代に突如舞い降りた理不尽な恐怖。それとどう付き合っていくか、どう折り合いをつけるか、「震災」をどう「記憶」するかーそれは、ぼくたちの世代に課せられた宿題だ。