本質的な問題から目を背け続けるテレビ業界を象徴する駄作―『グッドモーニングショー』マジギレ感想
『グッドモーニングショー』(2016・日)
朝のワイドショー「グッドモーニングショー」のメインキャスター澄田真吾(中井貴一)はある日、勝手に付き合っていると思い込むアシスタントの小川圭子(長澤まさみ)から生放送中に自分たちが交際している事実を打ち明けようと言われる。その上プロデューサーの石山聡(時任三郎)から番組の打ち切りを宣告されるなど、散々な展開に落ちこむ。さらに突然起こった立てこもり事件の犯人(濱田岳)からの要求で、澄田が現場で犯人と交渉する羽目になり……。(シネマトゥデイより)
30点
ひとこと:
やっぱり君塚良一はダメだ!
監督・脚本、君塚良一。
制作はフジテレビ。
君塚良一氏といえば『ずっとあなたが好きだった』を始め、『踊る大捜査線』『TEAM』『さよなら、小津先生』など数々の名ドラマの脚本を書いてきたことで知られていますが、21世紀に入って以降はどういうわけか駄作を連発しまくり、今や悪い意味で安定感のある脚本家さんという立ち位置に落ち着き始めております。
ちなみに監督作としては2009年に『誰も守ってくれない』という、凶悪犯罪の加害者家族を題材とした作品を撮っています。
これ、「一見ちゃんとしているようで、実はめちゃくちゃひどい」という極めて悪質な、個人的には生涯ワースト10に入るくらい嫌いな映画です。
この映画がいかに醜い偏見にまみれているか、物語として破綻しているかは、シネマハスラーで宇多丸さんによって語り尽くされてますのでどうぞ。屈指の名ハスリング回です。
で、今回、その君塚監督作品ですよ。
正直、ヤバい予感しかしてないわけ。地雷踏むつもりで行くわけ。
なのに何で観に行ったかといったら、中井貴一&松重豊という、「みんなが想像してた井之頭五郎」VS「実際の井之頭五郎」という孤独のグルメコンビの共演が見たかったんですよね。
←二次元ゴローちゃん
←予想してたゴローちゃん←実際のゴローちゃん
まぁ実際のところ、松重豊は大して活躍もせずしかめっ面で中井貴一の横に突っ立ってるだけだったのでしょんぼりしたんですが、そこはまぁいいや。
(出典:シネマズby松竹)
あと補足しとくと、実は君塚さんは『誰も守ってくれない』と『グッドモーニングショー』の間に『遺体 明日への十日間』(2013)という、東日本大震災被災地の遺体安置所を題材にした作品を撮っていまして。
これ、普段君塚作品をボロカスにけなしている人からも揃って賞賛の声が上がるくらい良い映画って評判なんですよね(あいにく未見)。だから正直、ちょっと期待したってのもある。
あんだけ映画ファンに叩かれてる本広克行・堤幸彦だって最近は良い映画作ったりしてるんだし、面白かったらいいなー程度の望みは持ちつつ劇場へ向かったのです。
さてこの映画、最初に言っとくと、前半はわりと面白いっす。
お客さんが声をあげて笑う場面も多くて、ここは素直に「やるじゃん」って思いました。
いわゆるお仕事ムービーというんですかね。
テレビ局制作によるテレビ局(を舞台にした)映画だけあってか、朝のワイドショーの現場をリアルに、かつスピーディーに手慣れた手つきで見せていきます。
大きな文字で印刷されたカンペ、アイロンがかけられた新聞紙、テロップの指定用紙などギョーカイ感あふれる魅惑的な小道具を、カット割り多用しながら矢継ぎ早に使用していく。
テレビの裏側を覗くという好奇心も相まって、観客の興味をそそらせながらスムーズに作品世界に入り込ませることに成功しています。
あと役者さんはさすが実力ある人たちが揃っていて、そのリアクションとか掛け合いを見ているだけで楽しいってのはありました。
テンポの良いやりとり、すっとぼけたボケとツッコミの応酬で、結構笑った場面も多かったです。(特に中井貴一の「CMです」と志田未来の「占いのコーナーです」はププッて吹いちゃいました)
そんなわけで、前半は良いんですよ。
このテンションで突っ走ってくれるなら、今回はいけんじゃね?って思うわけ。
でもやはりというか、案の定と言うか。
後半、舞台が立てこもり現場のカフェに移ってからが、もう本当に同じ映画かと思うくらい酷くなっちゃうのです。
(出典:cinra)
まず最初に突っ込んどくと、前半から張られていた伏線の処理が適当すぎ。
主人公・澄田(中井貴一)の過去のトラウマの件、これ前半から何度も何度もしつこく回想がインサートされてるので、後半重要な要素になってくるんだろうなーって思ってると、中盤で志田未来の説明によってあっさり「解決」しちゃうんですよ。
その真相にしたって観客に予想がつく程度の内容だし、何より問題なのは、この件がその後の展開にまったく影響しない。単に「澄田が現場に出るのを渋る理由」としてしか機能してないんですよ。伏線が伏線として働いてない。
この段階で「なんかなぁ…」って思ったけど、でもまぁ、これは比較的小さな疵です。
最大の問題は、肝心の犯人(濱田岳)の動機がよく分からないってこと。
(出典:シネマズby松竹)
ここからだんだんネタバレしますけど、ちょっと彼が立てこもりに至った経緯をまとめてみますね。
① 2年前、現場のカフェで火事が起きた
② そこで働いていた濱田岳は、店長に放火犯扱いされてクビ
③ そのことをキャスターの澄田に直訴しようとしたのに受け取ってもらえなかった
④ 澄田を逆恨みしてカフェに立てこもり、全視聴者の前で謝れと要求
うん、突っ込んでいい?
澄田関係なくない!?!?!?!?
例えば、澄田がすごく失礼な態度で彼の訴えをあしらったとかならまだ分かりますよ。
でも回想シーン見ても、これ単に澄田が聞こえてなかったか気付いてなかっただけにしか見えないんですよ。雨降ってたし、濱田岳は離れたところでワーワー言ってるだけだし。
でもまぁ、それでも犯人にとってはショックだったし失望したんだろうからしょうがないじゃんって意見もあるかもしれない。
でも少なくとも観客に、犯人が澄田をそこまでテレビの前で謝らせたい理由として説得力を持たせることはできていないわけ。濱田岳の演技自体はちゃんとしているんだけど、それでも彼がなんでこんなに澄田にキレてるのかすごく理解しづらいの。
ていうか、普通この流れだったら店長を恨むじゃないですか。
「店長をテレビカメラの前で謝らせろ、澄田はそれを現場から全視聴者に伝えろ(今度こそ、自分の訴えをマスコミとしてちゃんと受け取れ)」だったら分かる。
事実、テレビスタッフたちも最初はそれが目的だと思ってたわけで。
でも店長はすでに店を辞めて海外旅行中だってことが判明。
あれ????
で、澄田が「本当は店長が目的だったけど不在だったから僕にターゲットを変えたんだろ?」って聞くと、犯人は「違う、最初からターゲットはお前だ」とか言うんですよ。
えーーーーー????
もうね、意味がわからないんです。
さすがに無理があると感じたのか、「お前らお高くとまりやがって、俺みたいな底辺の気持ちは分からない」とかとってつけたような動機を濱田岳に言わせてますけど、じゃあテレビ局襲撃しろよお前。
(あと「ワンオペ」とか、それこそワイドショーから聞きかじってきたような時事ネタをこれ見よがしに入れるの、最高にダサいのでやめた方がいいと思います)
ていうか、なんでこんな回りくどい動機にするんだろう。
自分が脚本家だったとして、犯人がキャスターである澄田を現場に呼んで謝罪させるってシチュエーションに何か強い理由づけをするんだったら、「澄田の報道のせいで周囲から放火犯扱いされた」という動機にしませんか、普通?
(出典:cinra)
実際、松本サリン事件の河野さんとか、3億円事件の元運転手とか、マスコミの恣意的な報道で勝手に犯罪者扱いされて人生をめちゃくちゃにされた被害者ってのは現実に沢山いるじゃないですか。
そういう人が、報道を伝えたキャスターに全視聴者の前で謝れ、訂正しろって要求するのなら、これはすごく理解できる動機になる。
でも、この犯人はそうじゃない。
火災当時のニュース映像も流れるんだけど、濱田岳は単に一般的なインタビューを受けているだけで、別に報道被害を受けたみたいな描写は無いんです。
えーとね。
ここに至って、ぼくは気付きましたね。
さっきから何か違和感があった。
この映画、何かが決定的に欠けていると思ってた。
違うんです。
「何かが欠けている」んじゃなく、「わざと欠けさせている」。
つまり、「何かを描くことを意図的に避けている」んです。
その「何か」とは、
「マスコミを『悪者』にすること」です。
つまり君塚良一さんは、やっぱりどうしてもマスコミを「悪」の側に立たせたくないんですよ。
だからこんな無茶な動機をひねり出してまで、「報道被害」という、本来この映画がいちばん描かねばならないはずのテーマを避けているわけ。
澄田のトラウマは、「善意でやったはずの行為が視聴者に誤解され、悪として糾弾される」すなわち「観客」自らが「悪」を作り出してしまうというものでした。
だったらその対比として、「真実を追求しようとしたマスコミが、本来無実の人を悪に仕立て上げてしまう」という逆転構造を物語上の大きな仕掛けとすべきでしょう。
(出典:cinra)
それなら、単純な善悪二元論に還元されない、考えさせられるお話だって作れたはずです。
同じく身勝手な誤解に苦しんだ者として、澄田が犯人に共感できる存在となる、そういう展開にすれば澄田の説得にも重みが生まれるし、犯人が心を動かされるきっかけだって作れたはずなんです。
でも、この映画はそれをしない。
腰が引けてるのか、テレビ局制作ゆえの配慮か、あるいは本当に君塚さんは「マスコミは悪くないよぉ~」って思ってんのか知りませんけど、これはちょっと不誠実だと思います。
だって結局「視聴者はバカで勘違いして俺たちを叩いたりもするけど、俺たちマスコミは真面目にやってます(キリッ)」って言ってるも同じなんだもん。
で、犯人の動機もアレだしテレビ局も人質の人命軽視しまくりで犯人を挑発したりして映画自体もどんどんグダグダになっていくんですが、クライマックスに悪い意味で度肝を抜かれる展開が待ち受けているんですね。
あのー、わかりますよ。
視聴者投票を、自殺しようとする犯人へのアンサーに使うというアイディア、それ自体は確かに面白いですよ。(『ダークナイト』とか『ブラックサイト』とか前例あるから新鮮味はないにしろ)
でも思いついたからって考えなしにやるなよ!!!!
だってこれ、間違いなく扱いに注意を要するネタでしょう。
言ってみれば「テレビ局が人の生き死にを弄ぶ」行為ですよ?
シチュエーションそれ自体の面白さと引き換えに、大多数の観客をドン引きさせかねない諸刃の剣なのは明らかじゃないですか。
(出典:cinra)
なのにこの映画は、それをすごく軽~いテンションでやってしまうんですよね。
これも前半のコメディのテンションが持続している中であれば問題なかったのに、終盤の一応シリアスなシーンの後でやりやがるもんだから、観てる方としてはまたもや「えーーーー!?」ですよ。
うわー、やるんだ!本当にやるんだ!やりやがったよ!!うわー!!
テレビ局最悪ッ。
あ、ちなみに結果は「犯人死ね」が圧倒的多数っていうね。
はい来ましたー、大衆蔑視!
やはりヤツら視聴者に倫理観などない!!人の死を、面白い画を、ただのエンタテイメントを望んでいるのだぁーーーーーーーーーー!!!!俺たちはヤツらが望んでいるものを提供しているのだぁーーーーーーーーーー!!!!
「あーやっぱりいつもの君塚作品だ」って、ここはむしろ安心しました。(逆に「生きろ」が大多数だったほうがむしろ偽善臭くてムカついてたかも)
で、これじゃ犯人自殺しちゃうじゃん、どうすんのかなーと思ったら、時任三郎演じるプロデューサーの石山が投票数操作して「生きろ」を多数派にしちゃう→犯人がなんとなく戦意を喪失したところで警察が突入してジエンド。
はい終了。撤収。
・・・・・。
えーと、
「犯人を騙した」ことへのフォローがまったくないですよね。
彼は結局、テレビ局にすったもんだ翻弄されたあげく、最後もテレビ局に騙されて逮捕されちゃうんでしょ?
いくら凶悪犯とはいえ、あまりに救いが無くないですかこれ。
まぁいいや。最初からそのへん真面目に描く気もないんでしょうよ。
どうも君塚良一という人は、こういう社会的弱者を登場させはするんだけど、彼らに本気で同情する気がないというか、所詮「社会における突然変異」みたいな目線で見てるのがすごくよく分かるっていうね。
基本上から目線なんですよ―…ってそれ、今回の犯人が訴えていたことそのままですね。
これ、凄いですよ。
「上から目線はよくない」って主張を取り上げてる映画それ自体が「上から目線」なんですよ。
映画の中で「問題」として描いていることそれ自体を、この映画自体がなんの罪悪感もなく繰り返してるってことですよ。
手の込んだメタ構造、いやぁ画期的な脚本ですね。(褒めてなーい)
(出典:cinra)
で、ここからはまとめモード。
澄田はテレビ局に戻ると、犯人が命がけで訴えようと渡した手紙を読みもせずにスタッフにポイって渡して(これはマジでびっくりした)、なんかプロデューサー石山(時任三郎)と2人で「俺たちいい仕事したな~」みたいな打ち上げムードに突入するんですね。
…あのさ、待って。
おまえらさ、「視聴者にウソを伝えた」んだよね?
結果的に死者を出さずに解決したかもしんないけど、犯人や人質の命を危険に晒して―っていうか、むしろ勝手にカメラ仕込んだり視聴者投票始めたり、事態が悪化するのを積極的に煽ってたよね?
責任取れやァァァァァァ!!!!!!!!
ガシャーーーーーーーーーーーーーーン!!!(ちゃぶ台をひっくり返す音)
中井貴一はともかくとして、ノリで視聴者投票始めてしかも票数いじった
時任三郎!!!お前!!!!
とりあえず辞表くらい出せよ!!!
そんくらいの覚悟があってやったんだろ!!!!!!
「ワイドショーにだってワイドショーの意地がある」んだろ!?!?!?
だったら自分たちが伝えた内容について誠実であれよ!!責任をとれよ!!!!!
「視聴率が楽しみだ」じゃねーよ!!!!
氏ね!!!!!!!!!!!!!!!!
(俳優・時任三郎が悪いわけではありません、あしからず)
で、澄田が「ワイドショーは『今この時』のためのもので、何も変えられないかもしれない。だが、何かが生まれるかもしれない」みたいなことを、なんか良い話っぽく言うわけ。
いやいやいやいや。
「今この時のため(だけの)もの」ってスタンスで作ったもののせいで、現実に人生を狂わされたり、報道被害を受けた人だっているわけじゃない。
もちろん逆に、それによって勇気づけられたり、元気を貰う人だって確実にいる。そういう、作り手の意図から離れたところでプラスマイナスどちらにも作用するのがテレビや報道の面白さ、怖さであって、それら全部をひっくるめて、それでも責任をもってモノ作りを続けよう、真実を伝えようとする人たちが尊いっていう話じゃないのかなあ。
(出典:cinra)
「ワイドショーは何も変えられない、くだらないものかもしれない」
「でも、そこから生まれるものもある」
「生まれるものは善かもしれないし、悪かもしれない」
「どちらであろうと、自分たち作り手はそれに責任を持つ。そして誇りも持つ」
澄田が本来言うべきは、こういう内容のことじゃないんですかね。
この後半2つが、この映画からはすっぽり抜け落ちているんですよ。
ああ、結局最後まで逃げてるんだなぁ、この映画の作り手は。
そんなんじゃ、もう誰もテレビなんか観ないよ。
ましてやワイドショーなんか。
はじめに言ったように、前半はそこそこ楽しかったのでもうちょい擁護したくもありましたが、レビュー書いてるうちに思い出しながらだんだんムカついてきたので最初より評価が下がってしまいました。
でもまぁ、いろいろ言いましたが、下手にリアリティを出したりシリアス一辺倒で行こうとしてないぶん、『誰も守ってくれない』よりは相当マシな映画だと思います。
※『誰も守ってくれない』に関しても、実は昔とはちょっとスタンスが変わってまして。君塚さんが描いた「自浄作用のない、悪意をぶつけるネットユーザーたち」というのは、現実に統合失調症患者を寄ってたかってオモチャにしたりする輩とか見ると実は時代を先取りしてたかも…くらいには思ったりしてます(でも描き方は本当に最悪なんだけど)。
震災の復興に従事した人たちを淡々と描こうとするスタンスとか、嫌いになれない部分も確かになくはないんだけど、やっぱり君塚さんは下手に社会問題とか描こうとするより、コメディ一辺倒でやったほうが資質に合ってるんじゃないかなぁ。
おわり。