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ノラブログ。               

 
 
 
 
 

【メモ】ルール、マナーについて。

メモ コスプレ

 

今後、議論などにおいて考察の材料とするための覚え書き、もといメモ(未完成)。読む気がある奇特な方は、いろいろツッコミとか追加とか入れてもらえると嬉しい。
(どうでもいいけど箇条書きって楽だね)


【ルール】
・ルールとは明文化された規則を指す。
・公的なもの(法律・条例)とローカルに設定されたもの(コスプレイベント内での規則など)がある。
・違反者にはペナルティが課せられる。ペナルティを執行するのはルールを設定した側。
・明確な基準が存在するため、「ルール違反」の認定は基本的に容易。
・個人には、ルールの設定が不適切だと感じた場合は批判、問題提起、あるいは合法的にルールの枠から離脱(海外に移住する、イベントに参加しないなど)する権利がある。
・ルール設定を批判する場合、批判対象はルールを設定した側となる。


【マナー】
・マナーとは明文化されていない一般常識、礼儀作法などを指す。
・公的なもの(電車内でのマナーなど)とローカルなもの(コスプレマナーなど)があるが、かならずしも区別は明確でない。
・違反者にペナルティが設定されておらず、ペナルティを執行する主体も存在しない。ただし他者にマナー違反を咎められ、批判や社会的制裁を受けるリスクは内在する。
・明確な基準が存在しないために「マナー違反」の認定は困難な場合がある。
・個人には、マナーの設定が不適切だと感じた場合は批判、問題提起、あるいは合法的にマナーの枠から離脱(海外に移住する、イベントに参加しないなど)する権利がある。
・マナー設定を批判する場合、明確な批判対象が存在しないため、社会・大衆に向けて提起する形となる。


1.「ルール違反」は批判できるか
個人は、コミュニティ(国家、自治体、学校、会社など)やイベントに参加した時点でそれに付随する「ルール」を確認・承諾したことになる。ルール違反はそこから逸脱した行為であり、ルールを設定した側は違反者にペナルティを課すことができる。また、他の参加者は違反者を非難する論拠を持つ。個人の裁量による判断は原則として適用されない。

 


2.「マナー違反」は「迷惑」で「非常識」か

2-1.「迷惑」は「マナー違反」批判の根拠にできない 
→反例:他人に迷惑をかけないマナー違反は存在する。
    (電車内で大声を出しても、自分以外に乗客がいなければ迷惑でない)
    他人に迷惑をかけるがマナー違反でない事案も存在する。
    (電車内で倒れて担架で運ばれるのは迷惑であるが、マナー違反とはいえない)
また、「迷惑」の基準が人によって大幅に変わる。つまり「迷惑」の客観的な根拠は存在しない。

 

2-2.「非常識」は「マナー違反」批判の根拠にできない 
→上記と同様。常識的なマナー違反も、非常識だがマナー違反でない事案も存在する。「常識」の基準も千差万別、年齢や国籍、時代背景によっても変化。「常識」が科学的に間違っているケースもある(「エスカレーターで片側を空ける」など)。

 


3.「マナー違反」はなぜ批判されるか
批判の根拠を客観的事実に求めることができない以上、「批判者(わたし)がその行為を不快に感じたこと」が「マナー違反」を咎める唯一の根拠となる。マクロではなくミクロの怒り。

 

3-1.「わたしの怒り」による批判
「わたし」を主体として、他者のマナー違反を咎めることは可能。自分がその行為を不快に感じたことは真実であり客観的な立証は不要だから。「その行為をやめろ、俺がムカつくからだ」は理屈として正しい。

 

3-2.「わたしの怒り」は「みんなの怒り」ではない
「わたしの怒り」は主観的なものであるため、直接「わたしが怒っているからみんなも怒っている」と繋げることはできない。どんな事例であれ反例(怒っていない人)などいくらでも見つかりうる。ゆえに「その行為をやめろ、みんながムカついているからだ」は理屈として正しくない。

 

3-3.「みんなの怒り」で押し切る方法
「わたしの怒り」がある程度周囲の賛同を得られた場合、数の力(権力)で相手を押し切ることは可能。その場合「大衆の支持の獲得」という(擬似的にではあるが)社会的裏付けをもった批判論拠が成立する。現実にはこの形で争いにケリがつくことが多い。ただしこれも論理としては正しくない。また双方の勢力が拮抗した場合、論争は硬直し泥沼化する。

 


4.まとめ?
「ルール違反」を批判するのは簡単であり批判された側は(あくまで理論上ではあるが)反論の余地が少ない。
一方「マナー違反」を批判し、勝利するには数の力で押し切るしか方法がない。論理性の有無は勝敗に寄与せず、反例・反論は無数に存在したまま強引に決着させる形となる。多数派を勝利させる(=より多くの人を気持ちよくさせる)という意味では功利主義的であり民主主義的。

意地悪く言えば、「マナー」は多数派とってそのつど都合よく基準を変化させることができる恣意的なものである。